鑿構の周期律 · 古生物 · 01

生命の境界:一度も確定されたことのない定義

新しい発見が定義を押し広げるとき、私たちは何を探しているのか。

秦漢 · 読了の目安:約50分 · 公開日

一 向きを変えれば、もう錐体ではない

地球で最も古い岩石の一群は、グリーンランド南西部、イスアの一帯にある。

そこに、37億年という時を経た岩壁がある。ただ、岩石にとって「37億年」とはどういうことか、先にひと言添えておこう。その岩石は地中深くに埋められ、高温に焼かれ、押しつぶされ、やがて再び地表へ押し上げられてきた。それだけの目に遭えば、小さな形のほとんどは、跡形もなく揉み消されてしまう。

だから、この種の岩石にセンチメートル単位の整った構造が見つかること自体、めったにない。2016年、ある研究チームが、その岩壁で新たに露出した部分から、小さな錐体をいくつも発見した。高さは1〜4センチ。同じ層の中に、隣り合って並んでいる。チームは、それを生物が残したものだと考えた。もう少し具体的にいうと、こういうものだ。

現在の浅い海には、海底に薄い敷物のような層をつくる微生物がいる。その層は、水中から降ってくる砂や泥の粒をからめ取る。粒に覆われると、その上にもう一層伸びる。また粒をからめ取り、また上へ伸びる。そうして何年も積み重なるうちに、敷物の下には、何層にも重なった石のこぶができあがる。

この石のこぶを、ストロマトライトという。オーストラリアのいくつかの湾では、今も生きたものを見ることができる。グリーンランドの小さな錐体が本当にこのように育ったのなら、37億年前のそこには、すでに微生物が敷物を広げていたことになる。では、それがなぜ論争になるのか。

現在、説得力のある最古の生命記録は、およそ35億年前にさかのぼる。この錐体が認められれば、その記録が一挙に2億年早まる。しかも、ほかに頼れる証拠がほとんどない時代へと踏み込むことになる。

その時代こそが、肝心なのだ。地球そのものの年齢は45億年余り。初期には激しい天体衝突も経験している。だから「生命は、どこまで早く誕生しえたのか」という問いに答えられる時間の幅は、もともと狭い。一歩さかのぼるたびに、化学の過程に残される時間が、ごっそり削られる。

研究チームが根拠にしたのは、形だけではなかった。岩石の化学組成や堆積の模様からも、いくつかの傍証を拾い出し、これらは浅い海でできた岩石だと主張した。浅い海は、まさに現在、この種の微生物の敷物が最もよく見られる場所である。

2年後、別のチームが隣の岩壁を訪れ、同じ構造を調べ直した。今度は表面を見るだけでなく、三つの方向から錐体の立体的な形を確かめた。出てきた結論は、正反対だった。

ある方向に切れば、三角形の錐体に見える。ところが、それとほぼ直角の方向に切ると、同じものが細長い稜線に変わる。その稜線の向きは、岩石全体がかつて押されて変形した方向と一致していた。つまり、これは成長してできた形ではなく、圧力で押し出された形なのかもしれない。さらに、もっと単刀直入な問題もあった。

いくつかの錐体は、先端を下へ向けていた。ところが、微生物の敷物は上へしか伸びない。下向きの先端は、その育ち方からは生まれない。

最初のチームも、もう一度応答した。二度の調査では、試料を採った場所が完全には一致していない、と指摘したのだ。岩石にかかった力は場所ごとに違うし、後から入り込んだ流体によって姿を変えられた部分もある。そうした事情が、不規則な形をつくった可能性はある。

論争は、今も決着していない。だが、肝心なのは、どちらが正しいかではない。この論争が、どんな形をしているかだ。 どちらも、この岩石が37億年前のものであることを疑ってはいない。錐体が実在することも疑っていない。両者が見ているのは、同じ岩壁の、1メートルと離れていない場所から採った試料である。

食い違いは、その手前で生じている。どんな形なら、生命が残したものと認めてよいのか。 それに答えるには、まず生命とは何かを知らなければならない。ところが、それは一度も定まったことがない。

二 123通りの定義

本当に数えてみた人がいる。2011年、ある研究者が、それまでに公表された生命の定義を一つずつ集めた。その数は、123に達した。

次に彼は、地道で、しかし役に立つ作業をした。それぞれの定義から重要な語を抜き出し、意味の近いものをまとめて、いくつの概念のまとまりが残るかを調べた。

さらに、どの概念がよく一緒に現れるか、どの概念がどれを含むかを比べた。探していたのは、すべての定義に共通する、いちばん小さな核である。残ったのは二つ。自己複製と、変化だった。

そこから彼は、ごく短い定義を提案した。生命とは、変異を伴う自己複製である。123通りが、一文に圧縮された。

だが、その後の成り行きが、事態をいっそうよく物語っている。翌年、同じ学術誌が一連の応答を募った。ところが、その応答自体も、一つの方向にはまとまらなかった。

過去の定義をすべて同じ重みの標本として扱うことに、反対する人がいた。ある概念が頻繁に登場するからといって、生命の理論の中で、より根本的だとは限らない。語の出現回数は、説明の代わりにはならない。また、「短ければ短いほどよい」という目標そのものを疑う人もいた。極端に短い定義は、組織のあり方も代謝も切り捨ててしまう。生命の起源を研究するうえで、まさにそれらが必要なのに、と。

123通りの定義があり、その123通りをどう扱うべきかについても、意見が分かれる。では、定義を実際に並べてみたら、何が見えるだろう。「定義がたくさんある」という以上に、ずっと具体的なことが見えてくる。

アリストテレスは、自ら栄養を取り、成長することを、生命の最低限の条件に置いた。植物なら、この線はよくなじむ。しかし、休眠中の胞子に当てはめると、曖昧になる。胞子は何十年も何も食べず、成長もせずに過ごし、その後で活動を再開できる。ウイルスとなると、どこから手をつければよいかさえ分からない。

1800年前後、ビシャは、生命とは死に抵抗する諸機能の総体だと述べた。力のある言葉に聞こえる。ただし「死」は、ふつう「生命の終わり」によって説明される。定義が、自分自身のところへ戻ってきてしまう。

シュレーディンガーは、生物は環境から秩序を取り込み、平衡へと崩れていくのを避けている、と語った。この言葉は広く知られるようになったが、二つの難点がある。一つは、熱力学の言葉で厳密にいうなら自由エネルギーと呼ぶべきだと、本人が同じ本の注記で断っていること。

もう一つは、炎にもそれができるし、ハリケーンにもできることだ。どちらも物質とエネルギーを絶えず取り入れ、自分の内側の秩序を保っている。この言い方では、生命だけを囲う線は引けない。

ホールデンは、さらに率直だった。酵素とバクテリオファージと生命の間には、連続した移り変わりがあるかもしれない、と考えた。ファージは酵素より「生命に一歩近い」が、完全に生きているとまで呼ぶのは言いすぎかもしれない。彼は境界を引けなかったのではない。引くことを、意図して拒んだのだ。

別の一群の定義は、視点を変える。「何でできているか」ではなく、「どのように自分を組織しているか」を問う。たとえば、ある工場の製品が、その工場自身の機械や建屋だったとしよう。周囲の塀まで自分でつくり、何かが壊れれば、また一つ製造して取り替える。

細胞は、まさにそうしている。膜は自分でつくる。その膜をつくる酵素も、自分でつくる。この種の考え方は、生命をまず、組織の働きが自分自身へと閉じているものとして捉える。

この説明は、「一つの個体が、どう自分を保つか」を扱うには強い。しかし、集団の水準で起こる遺伝的変異は含まれないし、先の定まらない進化も含まれない。一つの細胞がどう存続するかは説明できても、細胞の集団がどう変わっていくかは説明できない。

最も広く知られた定義は、アメリカ航空宇宙局から出た。生命とは、ダーウィン進化を遂げる能力を備えた、自己を維持する化学系である。1992年に同局の作業部会が示したもので、研究の進め方を整えるための定義だった。試料に、生きているか死んでいるかの判定を下すためのものではない。

「進化」と聞けば、すぐにラバを思い浮かべる人がいるだろう。ラバは子を残せない。この定義に従えば、それでも生きているといえるのか。働きバチも同じだ。大半は、一生繁殖しない。

この定義からの答えは、進化できるのは一個体ではなく、集団だ、というものになる。ラバはウマとロバから生まれる。ウマとロバが繁殖を続け、変わり続けるかぎり、ラバは生命の側にいる。「自己を維持する」も、同じように読む。すべての個体が必要な原料を一から自分でそろえなければならない、という意味ではない。進化を支える情報の仕組みが、その系自身のものでなければならない、という意味だ。

最後の批判は、最も遠くまで踏み込む。哲学者キャロル・クリーランドは、水をたとえに使った。化学が生まれる以前、人は目に見える性質でしか、水を見分けられなかった。透明で、流れ、ものを溶かす。

その基準なら、錬金術師が硝酸まで水の仲間に入れ、「強い水」と呼んだのも無理はない。この問題を最後に解いたのは、よりよい定義ではなかった。一つの理論だった。水は、二つの水素原子と一つの酸素原子からできている。

生命も、同じかもしれない。生命についての普遍的な理論が現れる前に、地球の生命の表面的な性質を取り出して定義するのは、「透明で、流れる」という特徴で水を見分けるのに似ている。本当に新しい標本を門前払いし、関係のないものを中に入れてしまう可能性は、大いにある。

彼女は、さらに一歩進む。そもそも生命は、水のように一つの種類をなすものなのか。それさえ、今は判断できない。手元にあるのは、地球という一例だけだからだ。この話には第八節で戻る。生命の定義が今も閉じていないのは、誰も本気で閉じようとしなかったからではない。

閉じようとするたびに、中にあるべきものを取りこぼすか、中に入れるべきでないものを通してしまうからだ。

三 その線上は、初めから空いていない

取りこぼされたものや、入り込んでしまうものは、頭の中でつくられた境界事例ではない。名前があり、発見された年があり、測られたゲノムの大きさがある。そして今、両側から同じ一本の線へと押し寄せている。

まず、生命の側から、より単純なものへと下ってみよう。1892年、タバコのモザイク病の病原体が、細菌を止めるフィルターを通り抜けることが分かった。細菌より小さいのだ。6年後、別の研究者が、それを普通の細菌とは異なる、伝播する因子として捉えた。それから一世紀、ウイルスは生命の定義の縁に引っかかったままだった。

ウイルスを生命に含めるべきだという理由は、代謝があるからではない。代謝はない。理由は、遺伝情報をもち、遺伝する変異を生じ、自然選択を受け、宿主と長く共に進化してきたからである。

反対する理由も、同じくらい具体的だ。ウイルス粒子には、自分でタンパク質をつくる機械がない。独立した翻訳の仕組みがない。大多数は、自己を維持するエネルギー代謝ももたない。適切な宿主から離れれば、複製を一回、最後までやり遂げることさえできない。

「自己を維持する化学系」という強い条件で読むなら、ウイルスは生命の外にある。「遺伝し、ダーウィン進化に加わる」という緩い条件なら、生命の内側に入る。これは事実をめぐる争いではない。両者が握っている事実は、まったく同じだ。違うのは、どこに線を引くかである。さらに下には、もっと単純なものがある。

1971年、ジャガイモのある病気から、ウイルスより単純な病原体が見つかった。タンパク質の殻をもたない、一本の核酸である。後に調べると、それは輪になっており、塩基は全部で約359個しかなかった。ウイロイドという。自分を複製するには、宿主の酵素に全面的に頼る。だが、その配列には変異が起こり、選択も働く。

「複製と変異」で十分なら、これは生命にきわめて近い。自前の代謝や、自分でタンパク質をつくることが条件なら、明らかに違う。まだ下へ行ける。

1982年、ヒツジのスクレイピーなどの病気を引き起こす、タンパク質性の感染粒子を指して、プリオンという語が提案された。初期の実験では、その感染性が、核酸を壊す処理に驚くほどよく耐えることが分かった。つまり、そもそも核酸をもたないのかもしれない。生命の境界を問ううえで、プリオンは前の二つより、さらに鋭い問題を突きつける。

そこには、型をなぞる複製がある。誤った形に折り畳まれたタンパク質が、正常なタンパク質を、同じ誤った形へと折り曲げてしまう。株ごとの違いがあり、選択があり、適応もある。

核酸のゲノムはない。膜もない。代謝もない。「複製と変異」を生命のすべてとするなら、プリオンは、きわめて扱いにくい反例になる。

ここまでは、生命の側から下ってきた。ところが反対側では、上へと伸びてくるものがある。長い間、ウイルスと細胞を分けるには、便利な経験則が三つあった。

ウイルスは細胞より小さい。ウイルスのゲノムは、きわめて単純だ。両者の複雑さの間には、はっきりした段差がある。その三つが、20年のうちに、一つずつ破られた。

1992年、イングランドで肺炎の発生を調べていた研究者が、冷却塔の水から、ある微生物を分離した。普通の顕微鏡でも見えるほど大きく、染めてみても細菌と同じように染まる。それで細菌とされた。そのまま、十数年が過ぎた。

ウイルスだと分かったのは、2003年のことだった。名前も、そこから来ている。ミミウイルス。微生物をまねるウイルス、という意味だ。2004年に公表された全ゲノムは約118万塩基対、タンパク質をコードする遺伝子は約911個。細胞内に寄生してしか生きられない多くの細菌より、ゲノムが大きい。かつては、どちらかといえば「細胞のもの」と考えられていた遺伝子まで備えていた。

2013年に発表されたパンドラウイルスの一つは、ゲノムが少なくとも250万塩基対に達する。予測された遺伝子の多くは、既知の生物の中に近縁のものが見当たらない。だが、いちばん考えさせられるのは、シベリアの永久凍土から復活した、壺のような形のピソウイルスだ。

粒子の長さは約1.5マイクロメートル。体の寸法だけなら、多くの細菌を上回る。それなのに、ゲノムは約61万塩基対しかなく、パンドラウイルスより小さい。体の大きさと遺伝子の数は、別々に動いてよかったのだ。

同じころ、細菌の側は、下へと縮んでいた。長く引用されてきた最小細菌ゲノムの記録には、約15万9千塩基対のものと、約11万2千塩基対、予測されるタンパク質コード遺伝子が137個のものがある。

2026年には、その記録はさらに大きく縮んでいた。ウンカの体内にすむ共生細菌の一株は、ゲノムがわずか5万141塩基対。機能を識別できるタンパク質コード遺伝子を68個だけ残している。68個。比べてみよう。大腸菌では、およそ4千個。ヒトの細胞には、タンパク質コード遺伝子が約2万個ある。

この細菌には、それが68個しかない。それでも細胞の構造があり、共通祖先から受け継いだ細胞の機械がある。ただし、代謝機能の大半を宿主に任せている。こうして、一つの光景が現れる。ウイルスの側は、上へ伸びる。細菌の側は、下へ縮む。どちらも、同じ一本の線に近づいていく。

ところが、その線上には空きがない。一か所もない。大きさ、遺伝子の数、自律性、代謝、翻訳の仕組み。両側を分けてくれると期待された基準はどれも、中間地帯で、両方にまたがる実例に出会ってしまう。この線は、引き終えた後に侵食されたのではない。初めから引けていなかった。そして、その両側のものは、ずっとそこにいた。

四 条件は選ばれたのではなく、与えられた

定義から目を離し、実際に、あの出来事が起きた時代へ視線を移そう。

太陽系が形を取り始めたのは、およそ45億6千万年余り前だ。地球は、一度に現れたわけではない。何千万年もの間、塊どうしが衝突し、積み上がってできた。その途中には、巨大な衝突もあった。火星ほどの大きさの天体がぶつかり、飛び散った破片が集まって月になった。

地球が生まれてから最初の5億年余りを、地質学では冥王代と呼ぶ。名の由来は、ギリシャ神話の冥界である。名づけた人の頭の中で、そのころの地表は、地獄そのものだった。その想像は正しかったのか。今も、三つの描き方が並び立っている。

一つ目は、文字どおりの地獄だ。月を生んだ巨大衝突の直後、地表は短期間、溶けて一面のマグマの海になりえた。その上には、高圧の水蒸気と二酸化炭素がのしかかっていた。ただし、それは衝突が終わったばかりの、一時期の姿である。

二つ目の地球は、はるかに穏やかだ。早い時期から、すでに海があった。その主な証拠は、とても小さな鉱物から来ている。ジルコンについては、少し説明が要る。

ジルコンの一粒は細かな砂粒よりも小さいが、きわめて頑丈だ。もとの岩石が何度も熱せられ、押しつぶされ、風化し、砕け散っても、ジルコンの結晶は、しばしば無傷で残る。そして、結晶になった瞬間の化学的な情報を、何十億年も先へ持ち運ぶ。もはや存在しない岩石から情報を取り出してくれる、数少ないものの一つなのだ。

西オーストラリアのジャック・ヒルズで採れたジルコンの一群を調べた研究者がいた。最古の粒は44億年前のものだった。測ると、酸素同位体の比率が、はっきりと高い。同位体についても、ここでひと言説明しておこう。この先、何度も出てくる。

同じ元素にも、重さの違うものがある。中性子が一つ多いか、少ないかという違いだ。化学的な性質はほとんど同じでも、多くの物理的、化学的な過程では、軽いほうが少し速く動き、少し反応しやすい。そのため、ある過程を経ると、軽いものと重いものの比率に、測定できるほどのずれが生じる。

そのずれが、起きた過程の指紋になる。ジルコンに戻ろう。そこに見られる酸素同位体の比率は、地球深部に由来する典型的な値より高い。説明は、こうだ。ジルコンのもとになったマグマに、地殻の物質が混じっていた。その地殻の物質は、さらに以前、地表の低温の環境で水と成分をやり取りしていた。

これが支持するのは、ジルコンが結晶になる前に、地球表面のどこかで、低温の液体の水が関わる岩石の循環が、すでに起きていたということだ。これだけでは、44億年前に、現在と同じ規模の海が地球全体に広がっていたとまではいえない。

疑問が向けられているのは、後の時代の変質である。このジルコンは、何十億年もの放射線損傷や、亀裂に入り込む流体を経験してきた。その過程で同位体の記録が書き換えられたのなら、高い値は、もとの信号ではない。だが、その後の微小領域の分析では、高い値を示す中心部分の多くが、目に見える変質箇所と重ならないことも分かった。「すべて汚染だ」という説明でも、今あるデータのすべてを片づけることはできない。

三つ目は、温室効果ガスの厚い層に包まれた世界である。理由は、太陽にある。若い太陽は、今よりおよそ3割暗かった。その明るさなら、本来、地球は丸ごと凍った球になっていたはずだ。

海を凍らせないためには、二酸化炭素やメタン、あるいは雲を、何らかの形で組み合わせて保温しなければならない。三つの描き方は、同じ証拠を分け合いながら、今も共存している。大気が還元的だったか、中性的だったかについては、対立がさらに直接的だ。それによって、化学がどこまで進めるかが変わるからである。

1953年、シカゴ大学のミラーという大学院生が、あの有名な実験を行った。メタン、アンモニア、水素、水蒸気をガラスの容器に封じ込め、電気火花で稲妻を再現した。これらの気体は、強い還元性をもつ。つまり、電子を渡しやすい物質が豊富に含まれている。

放電を始めた初日、溶液はもう桃色を帯びた。1週間後には濃い赤になり、グリシンやアラニンといったアミノ酸が検出された。タンパク質を組み立てるためのれんがが、ひと瓶の気体から、ひとりでに生まれてきたのだ。この気体の組み合わせを選んだことにも、当時としては根拠があった。

ところが後に、冥王代のジルコンに含まれるセリウムという元素の価数から、当時のマグマの酸化の程度をさかのぼって推定した研究が出た。後の時代のマントルと比べても、極端に還元的だったとはいえない。この結果が支えるのは、火山から出る気体の主成分が、水蒸気、二酸化炭素、窒素だったという姿である。はるかに中性的な大気だ。

だが、中性的な大気で話が終わるわけでもない。

地球に集積した隕石物質の組成によっては、局地的に、あるいは一時的に、強く還元的な大気ができうる、と計算で示した人たちがいる。別のチームは、より中性的な条件で放電実験をやり直した。そして、放電と同時に生じる酸化性の物質を取り除くだけで、検出されるアミノ酸が大きく増えると分かった。問題の一部は、せっかくできた生成物が、自分たちの副産物に壊されていたことにあったのだ。

だから今の論点は、「ミラーは間違っていた。初期の大気は絶対に還元的ではなかった」ということではない。地球全体で長く続いた大気は、それほど強く還元的でなかったかもしれない。しかし、衝突、火山の噴煙、局地的な熱水は、場所と時間を限れば、還元的な条件を生み出せる。影響は、生成物の量だけにとどまらない。

酸化還元の状態が変えるのは、使える原料の品ぞろえ、そのものだ。強く還元的な大気なら、シアン化水素のような原料を、大気中で直接、大量につくれる。より中性的な大気では、局所的な環境、鉄の化学、隕石が運び込む物質に、いっそう頼ることになる。これらの条件を、後にそうなったとおりに組み合わせた誰かが、いたわけではない。

マントルの酸化の程度は、誰かが選んだのではない。太陽の明るさは、相談して決めたのではない。どんな種類の隕石物質が集まってくるかを、投票した者もいない。

意図はない。好みはない。交渉もない。 だが、まさにこの一組の条件が、化学に可能なことの広がりへ一刃を入れ、一部を残し、ほかを削ぎ落とした。このシリーズでは、このような切り分けを「鑿」と呼ぶ。鑿、つまり、のみで削るというと、ふつうはそれを握る人の手を思い浮かべる。この一刃には、その手がない。

もう一つ、生命そのものとは直接関係しないが、この先のあらゆる古い記録の読み方を左右する話がある。1974年、3人の研究者が、アポロ計画で持ち帰られた月の岩石の同位体年代が、およそ39億年前に数多く集中していることに気づいた。

そこから彼らは、その時期の月に、短く激しい衝突の集中期があったと提案した。20世紀の後半には、それが標準的な物語となった。2005年には、巨大惑星の軌道が組み替わるというモデルにも結びついた。月の後期大衝突期、いわゆる月の終末的大変動である。

この十数年、その説は大きく勢いを失っている。アポロの試料には、同じ衝突盆地から飛び散った物質が、いくつもの採取地点で混じっていた可能性がある。一方、月隕石や年代の測り直しから得られる年代分布は、もっと広い。

アポロが訪れたのは、月の表側だけだった。嫦娥6号が2024年に裏側から持ち帰った試料についても、2026年に報告された分析では、年代は39億年前に集中していなかった。しかし、本当に重要なのは、別のモデル研究である。

その研究が指摘したのは、古い衝突で溶けた物質は、その後の衝突で繰り返し壊され、内部の同位体時計も、何度もゼロに戻されるということだ。そのような条件では、実際の衝突頻度が滑らかに下がり続けていたとしても、現存する試料の年代分布には、集中期らしく見える山が現れうる。

つまり、その山をつくったのは、出来事ではないかもしれない。残りやすさの違いかもしれない。この一文は、別に取り出して覚えておきたい。衝突史の細部の話ではなく、あらゆる古い記録に通じる原則だからだ。

目にできるものの分布には、「何が起きたか」と「何が残れたか」という二つが混じっている。そして、その二つは、いつでも切り離せるわけではない。

生命の起源に話を戻すと、これは時間に余裕をもたらす知らせである。あの集中期がなかったのなら、39億年前に、すべてを白紙に戻すような爆撃があったと仮定する必要はなくなる。

そこへ、44億年前には液体の水があったというジルコンの話を重ねれば、生命に許された時間は、ずっと長かったかもしれない。衝突で中断されることはあっても、そのたびに一からやり直す必要はなかったかもしれない。もちろん、これは時間が足りた可能性を示すだけで、そのころ、すでに生命がいたという証拠ではない。

五 甲・乙・丙、証拠の三つの層

あの錐体の問いに戻ろう。どんな記録なら、証拠として数えてよいのか。研究者は、最初期の生命の証拠を三つの層に分ける。分ける基準は、古さの順ではない。どれだけ確かに立っていられるかだ。

甲の層は、論争が最も少ないもの。西オーストラリアの古い地塊に、約34億8千万年前の地層群、ドレッサー層がある。その説得力は、一つの「細菌に似た形」から来ているのではない。

互いに独立した、いくつもの手がかりが集まっていることから来る。ストロマトライトのような層の重なり、炭素を含む物質、硫黄と炭素の同位体の異常、微小な構造。2017年の研究では、ここで間欠泉が残した岩石も見つかった。少なくとも一部は、陸上の火山性の温泉だった可能性がある。

同じ地塊には、約34億3千万年前の地層群もある。ストレリー・プール層だ。そこには、水平方向に大きく広がるストロマトライトの礁が残っている。この場合も、論証のかなめは「一個の錐体が、現代のストロマトライトに似ている」ということではない。

錐状、ドーム状、層状など、さまざまな形が、同じ堆積の仕組みの中で、規則をもって分布している。しかも、多くの層にわたって繰り返し現れる。それらの形すべてと、互いの位置関係を、ただ一つの無機的な沈殿の仕組みで同時に説明するのは難しい。

甲の層について、無理のない言い方をすれば、こうなる。およそ35億〜34億8千万年前には、微生物の群集が堆積構造と炭素を含む記録を残していた。この点には、強い合意がある。争点は、具体的にどんな環境で、どんな代謝をしていたかへ移っている。そのころ地球に生命がいたのかどうか、ではない。

乙の層は、記録の存在は確かでも、生物によるものという解釈に、実質的な異論があるもの。イスアの37億年以上前の海底堆積岩から、直径約2〜5マイクロメートルの、黒鉛からなる炭素の微粒子を報告した人がいる。ここで先に、炭素同位体がなぜ生命の手がかりになるのかを、はっきりさせておこう。後の話は、そこにかかっている。

生物は炭素を取り込むとき、軽いほうを選びやすい。そのため、生物がつくった有機物では、炭素の軽いものと重いものの比率が、周囲の無機炭素と違ってくる。軽いほうが多くなるのだ。

そのずれは、岩石の中でも測れる。ただし、条件がある。その炭素が、本当に当時の生物の残したものであること。後から染み込んだものではなく、生物と無関係な過程が、同じずれをつくったのでもないことだ。

黒鉛に戻ろう。その炭素同位体は軽い側に偏っていて、もとの有機物が高温で姿を変えた後の残りだと解釈された。2025年には、鉱物粒子の内側に包まれ、保護されていた黒鉛を、その場で分析した研究が出た。そこで得られたずれは、以前の値よりいくらか大きかった。しかし、反論も同じくらい具体的である。

初期の高温高圧の環境だけでも、炭酸塩の分解と還元、流体からの沈殿、変成反応を通じて、炭素同位体が軽い側に偏った黒鉛をつくれる、と指摘されている。つまり、同じ指紋を、生物のいない過程も残せる。

乙の層で、もっと有名なのは、小さな糸状の構造の一群だ。そのいきさつは、最初から見ておいたほうがよい。1993年、西オーストラリアの約34億6千5百万年前の岩石から、炭素質の糸状構造が報告された。アペックス・チャートと呼ばれる岩石である。構造は形によって11群に分けられ、その一部は、糸状のシアノバクテリアに似た原核生物だと解釈された。

そのため、この構造は長い間、当時知られていた最古の微化石と呼ばれた。9年後、『ネイチャー』の同じ号に、真っ向から対立する二つの論文が載った。

一方は試料にレーザーを当て、分子の振動を読み取ることで、構造の中に、確かに熟成の進んだ炭素質物質があると確認した。他方は地質学的な背景を調べ直し、試料は乱されずに残ったもとの堆積層ではなく、後から熱水が入り込んでできた岩脈に由来すると考えた。さらに、多くの「細胞」の輪郭や大きさの分布は、信頼できる微化石の基準に合わなかった。

論争は、そこからさらに十数年続いた。2018年、前者の側は、ごく小さな領域で同位体を測れる方法を使い、11個の構造の炭素同位体を測定した。五つの形態群でそれぞれ値が異なり、その違いは形による分類にも対応していた。そこから、異なる代謝の型があった可能性を提案した。それでも、論争は終わらなかった。理由は、二文で書ける。

レーザーで示せるのは、それが炭素だということまでで、その炭素がかつて細胞だったことではない。同位体が軽い側に偏っていれば、分別が起きたことは示せるが、熱い水の中の化学反応も軽い炭素をつくれるという可能性は排除できない。

丙の層は、一つの研究の流れだけが主張していて、独立した確認がまだないもの、あるいは、すでに有力な反証を受けているもの。第一節のイスアの錐体は、この層に入る。

もう一例は、カナダ、ケベック州北部のヌブアギトゥクで見つかった、管状や糸状の構造だ。2017年の論文は、海底の熱水から沈殿したものと解釈される、鉄に富む岩石の中に、それらを報告した。現代の鉄酸化細菌が残す痕跡に似ている、と提案したのである。

年代の上限と下限には、途方もない開きがある。著者自身が書いたのは、少なくとも約37億7千万年前、そして約42億8千万年前にまでさかのぼる可能性がある、ということだった。二つの数字の間には、5億年が横たわっている。

異論はいくつもある。まず、古いほうの年代が、本当に岩石のできた時期を示すのかが争われている。また、鉄とケイ素を含む系では、無機的な鉱物の成長だけで、細い管や枝分かれができる。しかも、複数の指標が同じ一組の試料から得られており、互いに独立していない。

三つの層を並べ終えたところで、その手前にある問いを出せる。そもそも、判定の基準は何なのか。

炭素同位体の記録が生命によるものかを判断するには、少なくとも、いくつかのことを同時に考えなければならない。ずれの大きさは、既知の生物による同位体分別と両立するか。炭素は、もとの堆積構造と同時にできたのか、それとも後の時代の脈から来たのか。高温による変質が、同位体の記録を書き換えうるか。そして、同じ条件のもとで、生物を使わないモデルが似た値を生み出せるか。

炭素同位体の値が一つあるだけでは、生物以外に由来する可能性を退けられない。糸状の構造が生命の残したものかを見極めるには、さらに多くの条件が要る。大きさには、まとまりがなければならない。細胞は一定の大きさで育つのだから、その集まりの直径は、ある範囲に集中するはずだ。最も細いものから最も太いものまで、切れ目のない連続になっていてはいけない。

規則的な仕切りや枝分かれも要る。一本の糸が多くの細胞の連なりなら、その間には、横向きの隔壁が見えるはずだ。炭素は、初めからそこにあったものでなければならない。後から別の場所から染み込んだものでは困る。構造自体も、もとの場所にある必要がある。水に流されて、別の場所から運ばれてきたものではいけない。

別の方向に切っても、形のつじつまが合わなければならない。これは第一節ですでに見た。イスアの錐体がつまずいたのは、まさにここだった。さらに、実験室の純粋な化学過程で、同じものが簡単につくれては困る。ところが、この一式の判定基準の中には、非生物的な構造を、それ一つで完全に排除できる項目が、ただの一つもない。

ケイ酸塩と炭酸塩の系から、驚くほど本物らしい、生物に似た形が育つことは、すでに実験で示されている。枝分かれし、糸状になり、まるで細胞のように見える。それでいて、最初から最後まで、生命とは無縁だ。アペックス・チャートとイスアをめぐる論争の核心は、この一文にある。形が似ているからといって、起源まで同じとは限らない。

判定基準は、一つの「構」である。判断し、比較するために、人が組み立てたこの種の枠組みを、このシリーズでは「構」と呼ぶ。境界があり、項目があり、実際に使える点検表がある。

それは、確かに働いてもいる。この基準があったからこそ、37億年前の錐体は、甲の層の外に止められた。だが、それで止められないものも、同じくらいはっきりしている。否定はできる。確証はできない。

六 七つの道、最後の一行はすべて空欄

ここまでは、「生命をどう見分けるか」を問い続けてきた。今度は向きを変えよう。生命は、どう始まったのか。いくつかの道筋を見る前に、よく知られた行き詰まりを、一つ話しておきたい。

今の細胞には、重要な分子が二種類ある。一方は記録を担う。情報を世代から世代へ渡していく、DNAとRNAだ。他方は仕事をする。化学反応を触媒し、もともと極端に遅い過程を、役に立つ速さまで引き上げる。タンパク質、とりわけ酵素がそれにあたる。そして、この二種類は、互いを必要とする。

DNAを複製するには、酵素が要る。ところが、酵素はタンパク質であり、そのアミノ酸の並びはDNAに記録されている。それがRNAを通じて伝えられなければ、酵素をつくれない。つまり、酵素がなければ正確な写しがつくれず、正確な写しがなければ酵素がつくれない。これが、あの有名な循環である。生命の起源を説明する案はどれも、まず、この循環をどう断ち切るつもりなのかを明らかにしなければならない。

では、道筋を見ていこう。これらは、一つの理論の別々の版ではない。細部の意見が、まだそろわないという話でもない。「最初の一歩は何だったか」への答えが、互いを退けている。先にあったのは、複製できる分子か。それとも、自分を維持できる反応の網か。それとも、エネルギーの勾配か。一つを選べば、ほかの道筋は書き直さなければならなくなる。

一つ目。複製できる分子が先にあった。この道筋は、後にRNAワールドと呼ばれるようになった。しかも、その提案のされ方は、少し変わっていた。後の姿から、さかのぼって考え出されたのだ。

1960年代の終わり、何人かの研究者が、それぞれに気づいた。現代の細胞の遺伝暗号や、タンパク質をつくる機械の中には、不思議な痕跡が残っている。そこでRNAが担っている役割は、単なる伝令にしては、あまりに大きい。

そこから彼らは、初期にはRNAを中心とし、タンパク質をつくる仕組みが、まだ十分に整っていない段階があったのではないか、と提案した。その仮想の時代が、後にRNAワールドと名づけられた。順序に注意してほしい。この案が出されたとき、反応を触媒するRNAを見た人は、まだ誰もいなかった。

十数年後、二つの研究室が別々に発見をした。あるRNAは、自分自身を切り継ぎできる。また、ある酵素で実際に触媒の働きをしているのは、そのRNAの部分だった。二人の研究者は、この発見によって1989年のノーベル化学賞を分け合った。反応を触媒できるこの種のRNAを、リボザイムという。

さかのぼって立てられた推測を、実験が受け止めた。しかも、それによって、あの循環の半分が断ち切られた。同じ種類の分子が、原理的には情報を蓄え、反応を触媒することもできる。ならば、タンパク質が先に存在する必要はない。ただし、解けていないことがある。十分に長く、複製できる最初のRNAは、どこから来たのか。

2009年、この問題を大きく前へ進めた研究があった。互いを触媒する一対のリボザイムをつくったのだ。甲は二本の短い鎖をつなぎ、乙をつくる。乙は逆に、二本の短い鎖をつないで甲をつくる。原料を供給し続ければ、この系は指数関数的に増える。約30時間で、1億倍という桁に達する。さらに、変異したものを混ぜると、その間で選択や組換えも起きた。

これは、実験室で「分子の水準のダーウィン進化」に早くから近づいた例の一つだった。ただし、制限がある。一個ずつの原料分子から出発し、塩基を一つずつつないで、自分の配列を丸ごと写しているのではない。研究者があらかじめ合成しておいた、かなり長い断片をつないでいるのである。

別の種類のリボザイムは、もっと難しい道を進んでいる。ほかのRNAを、塩基一個ずつ写し取るのだ。この種のものは、次第に力を増してきた。2011年のものは、約95塩基の長さの、機能をもつRNAを写せた。2020年のものは、進化上の自分の祖先を、三つの断片に分けて写した。だが、それら自身は、どれも200塩基近い長さがある。ほかの鎖は写せる。自分より長い鎖を写せるものさえある。それでも、自分自身は、どうしても写せなかった。

その壁に、初めて隙間が開いたのは、2026年だった。ケンブリッジのある研究室が、わずか45塩基のリボザイムを見つけた。それは氷の中で、自分の写しを一つ組み立て、自分と対になる鎖も組み立てた。72日かかり、生成物は約千分の二にすぎなかった。しかも、その二段階は、まだ一つの完全な複製の循環にはつながっていない。

原料がどこから来るかも、別の難問である。従来は、糖と塩基を別々に合成してから結びつけようとしたが、この接続が実験ではきわめて難しい。そこで、その段階を迂回した研究者たちがいた。もっと単純な前駆物質から、共通の中間体を経て、使える原料へ直接至る道をつくった。後には、同じ出発物質から、核酸、アミノ酸、脂質の前駆体を同時につくれる、一連の化学反応の網も提案した。

難しさは、地質の側にある。実験では、研究者が段階ごとに容器を取り替える。まずこの反応を行い、濃縮し、それから次へ進む。自然界なら、それに対応する池や水の流れ、乾燥と湿潤の繰り返しがあって、人の代わりに容器を取り替えてくれなければならない。この道筋が示したのは、化学的に通れる経路があることだ。冥王代のどこかで、本当に最後まで通れたことは、まだ示していない。

二つ目。自分で回り続ける反応の網が先にあった。この道筋は、最初のひと言から、前の道筋とぶつかる。最初に現れたのは、複製できる一本の分子ではない。互いを触媒し合い、自分たちで回り続ける化学反応の集まりだった。情報は、後から加わったのだという。

具体的には、こう考える。硫化鉄、硫化ニッケル、黄鉄鉱のような鉱物の表面で、二酸化炭素の還元と硫化物の酸化からエネルギーを得る。まず、その表面に固定され、自分を維持できる反応の網ができる。遺伝を担う分子は、後から入居した住人なのだ。

実験でも、かなり進んでいる。硫化鉄と硫化ニッケルがある条件で、一酸化炭素から、活性化された酢酸やチオエステル類をつくった研究がある。2018年以降の一連の研究では、金属鉄やニッケル・鉄の鉱物を触媒として、二酸化炭素から酢酸、ピルビン酸、シトラマル酸をつくった。どれも、今の細胞の中心的な代謝に登場する物質である。

これらの実験は、そろって、かなり重みのあることを示している。現代の酵素がなければ、とてもできそうにない中心代謝の変換のいくつかは、適切な鉱物と還元条件があれば、必ずしもタンパク質の酵素を必要としない。

しかし、酵素を使わず、反応が一周して閉じ、自分を維持し、触媒まで自動的につくり直す代謝系が存在することは、示していない。そして、この道筋が、いまだに答えられずにいる問いがある。代謝の網の状態を、どうやって次の世代へ複製して渡すのか。

三つ目。すでにあるエネルギーの高低差を、まず借りる。この話は「生命は熱い水の中で生まれた」という程度に聞こえるかもしれない。実際は、はるかに具体的で、しかも巧妙だ。前の二つは、エネルギーを得る方法を、それぞれ自前で考えなければならなかった。この道筋はいう。自分で用意する必要はない。海底には、初めからある。

海底のある種の岩石が水と反応すると、水素を多く含むアルカリ性の熱水が生じる。その熱水と、それより酸性の強い初期の海水との間には、穴の多い鉱物の壁がある。そのため、壁の両側には、自然に化学的な高低差ができる。しかも、鉱物の穴の壁は、区画を隔てる仕切りにも、触媒の表面にもなる。

最初のエネルギー利用は、この既製の高低差を借りることから始まり、後になって、自分のポンプを進化させたというわけだ。2000年、大西洋中央海嶺の近くで見つかった熱水域は、現代にある類例を見せてくれた。流体はアルカリ性で、水素とメタンに富む。煙突状の構造は、主に炭酸塩でできている。ロスト・シティである。

これは、よく知られた「ブラックスモーカー」とは別物だ。ブラックスモーカーはマグマを熱源とし、噴き出す流体はふつう摂氏350度前後で、酸性に傾く。その温度では、RNAはたちまち切れてしまう。この道筋が必要とする高低差は、まさに、アルカリ性の流体と、それより酸性の海水との境目から生まれる。

最も強い反論は、希釈とリンに関わる。海底は開かれた環境なので、できた小さな分子は、巨大な海の中へ簡単に散ってしまう。また、カルシウムが豊富なアルカリ性の環境では、リン酸塩が沈殿しやすい。ところが核酸も、最終的には膜の化学も、リンに大きく依存している。

もう一つ、とりわけ高い壁がある。借り物の、自然にできた高低差から、どうやって離れるのか。そして、自分の膜で保つ高低差へ、どう切り替えるのか。

四つ目。乾いたり濡れたりを繰り返す池が、先にあった。舞台を変える道筋だ。深海ではなく、陸上の浅い火山性の温泉、その池の縁へ行く。利用するのは、特定の物質というより、一つのリズムである。

池には周期的に水が入り、蒸発し、また水が入る。乾く段階では、薄い溶液が濃くなり、分子どうしがつながって鎖になるのを後押しする。再び水に濡れると、油に似た性質の分子が、ひとりでに小さな袋をつくり、できたばかりの長い鎖を、偶然に包み込む。深海の道筋との最も直接的な違いは、熱いかどうかではない。水が、どれだけあるかだ。

論争の中心には、塩がある。単純な脂肪酸の小胞は、マグネシウムやカルシウムの濃度が高く、塩分も多い環境では、壊れやすい。ところがマグネシウムは、多くのRNAの触媒反応に、まさに必要なものでもある。そこで、この道筋は、原始的な膜には、海水より、塩分の少ない淡水の温泉のほうが適していると考える。

説明できていないことも、具体的だ。冥王代に露出していた陸地は、いったいどれだけ広かったのか。適した火山性の池が、十分な回数の乾湿の周期を、長く繰り返せたのか。そして、強い紫外線も、完全な乾燥も、すでにできた長い鎖を壊してしまう。

ほかにも、いくつかの道筋がある。それぞれ、ある一点には強いが、別の場所は空白だ。油に似た分子の集まりそのものが、「組成による遺伝」を担えると考える人たちがいる。区画ができ、成長することを自然に説明できるのが強みだ。一方、情報を収める容量は、配列をもつ分子より、はるかに小さい。

ペプチドが先だったとする人たちもいる。アミノ酸の化学は豊かで、金属と結びついた触媒作用も多様だ。それが強みである。難点は、塩基対のような、鋳型に従って複製する規則を示せないことだ。粘土鉱物を鋳型にする道筋もある。鉱物が長い鎖の形成を助けることは示した。結晶格子が、十分な情報容量をもつ遺伝を実現できることは、示していない。

パンスペルミア、生命が宇宙から来たという説にも、ひと言触れておきたい。しばしば、これが答えであるかのように受け取られるからだ。証拠のある部分は、本当である。有機物は宇宙から来ることができる。ある種の隕石には多くのアミノ酸が含まれ、左手型の分子が、わずかに多いことも測定されている。マーチソン隕石が、その例だ。

しかし、論理上の限界は、初めから明らかだ。生命が別の場所から来たのなら、問いは、そこで最初にどう生まれたのかへ移る。場所は変わる。非生命から生命への移り変わりは、解けない。

これらの道を並べると、整った模様が見えてくる。どの道も、ある一つの難所には、いちばん強い。そしてその難所は、しばしば、ほかの道が抜け落としている場所である。

区画をつくる点では、アルカリ性の熱水噴出口には鉱物の微細な穴があり、温泉の道筋には、再び濡れたときに、ひとりでにできる小胞がある。エネルギー源の点では、代謝が先だったとする道筋と、アルカリ性の噴出口が強い。遺伝情報の点で立っていられるのは、RNAワールドだけだ。そして、そこがまさに、前の二つの核心的な弱点である。 生体分子の左右の向きが、なぜ同じ側にそろっているのかという問いには、どの道も完全な説明を与えていない。

この一覧の上半分だけを見れば、全部を足せば、問題はほぼ覆い尽くされるように思える。問題は、最後の一行にある。その行の名は、最初から最後まで通す実験だ。地質学的に無理のない単純な原料から出発し、自律的な複製、区画、エネルギーとの結びつき、遺伝を伴う完全な分裂、そして、先を限定されない進化が持続するところまで、一続きに示す。

RNAワールド、なし。代謝先行、なし。アルカリ性噴出口、なし。陸上の温泉、なし。脂質ワールド、なし。ペプチド先行、なし。粘土の鋳型、なし。一つもない。いちばん長くつながった鎖も、それぞれ違うところで止まっている。しかも、止まった場所どうしが、つながらない。

七 473個の遺伝子まで削った、その先

過去へたどり着けないのなら、向きを変えよう。一つ、つくってみる。この方向で最も遠くへ進んだのは、クレイグ・ベンターのチームだ。最初の一歩は、化学試薬から、細菌の染色体を丸ごと一本、組み立てることだった。

複製ではなく、合成である。人工的に合成した短いDNAを、積み木のように、段階を追ってつなぎ合わせる。最後に、あるマイコプラズマの全ゲノム、約58万3千塩基対を手に入れる。2008年、彼らはそれをやり遂げた。それで、どうなったか。その後は、何も起こらなかった。

DNAは、試験管の中に横たわっていた。正しく、完全で、塩基を一つずつ照合しても間違いのない染色体だった。動かない。代謝しない。分裂しない。それは、一冊の説明書だった。そして、説明書は、自分で家を建ててはくれない。

2年後、チームはやり方を変えた。ゲノムを合成し、それを、すでに生きている細胞へ移植した。人工のゲノムを入れ、細胞を何度か分裂させ、さらに選別すると、受け手がもともともっていた染色体は失われ、人工の一本だけが残った。今度は成功した。合成ゲノムがその細胞を引き継ぎ、子孫には、ゲノムを提供した側の種のタンパク質と外形が現れた。

この出来事は、「人工生命」として広く報じられた。だが、それは違う。理由は、きわめて具体的だ。合成されたのは、ゲノムだけである。それを動かし始めた一式のもの、膜、タンパク質をつくる機械、輸送タンパク質、代謝酵素、イオンの勾配、細胞質の中のあらゆる道具立ては、すべて、移植を受けた細胞から来ていた。

そして、その細胞は生きていた。その祖先は、実験台に至るまで、一度も途切れることなく生き続けてきた。人工ゲノムが引き継いだのは、すでに走っている車だった。受け手の細胞がなければ、このDNAが、ひとりでに細胞へ変わることはない。

ゼロから組み上げるのが、それほど難しいのなら、逆から試してみよう。できあがった細胞を一つ持ってきて、遺伝子を一つずつ削除する。どこまで身を削っても、生きていられるかを確かめるのだ。

彼らは、その道も進んだ。2016年、最小細胞ができた。約53万塩基対、473個の遺伝子。栄養の豊かな条件なら、自分で成長し、自分で分裂できる。

比較のために、先ほどのウンカの体内の細菌を思い出そう。機能を見分けられるタンパク質の遺伝子は、68個しかない。最小細胞のタンパク質コード遺伝子は、400個を超える。ただし、前者は宿主に養われている。473個は、当時知られていた、自律的に増殖できる細胞の最少の遺伝子数だった。ただし、その自律性は実験室の豊富な栄養を含む培地に支えられている。あらゆる生命に共通する最低数ではない。そして、この研究で、最も直感に逆らう一文が続く。

その473個の遺伝子のうち、当時、およそ3割は、具体的に何をしているのか、誰にも説明できなかった。「仕組みはまだよく分かっていない」といった、穏当な言い回しの話ではない。その培養条件と実験計画のもとで大幅に削った後でさえ、残ったものの3分の1は、機能が不明だったのだ。

研究者たちは、当時の実験計画で可能なところまで細胞を簡素化していた。それなのに、残ったほんのひと握りを見つめても、100個以上が、何のためにあるのか分からない。10年後の2026年になっても、なお50〜60個は、用途を説明できないままだ。ここには、うっかり通り過ぎやすい帰結がある。

それが意味するのは、「あと少しで分かる」ではない。当時知られていた必須の機能をすべて把握していても、この最小ゲノムを設計することはできなかった、ということだ。それは、削って得られた。計算して導き出されたのではない。

後の派生株では、異常な大きさや分裂の形を改善するために、少数の遺伝子を戻す必要もあった。繁殖できる最低の遺伝子数と、正常に分裂できる最低の遺伝子数は、そもそも同じ問いではなかったのだ。

別のチームは、反対の方向から取り組んだ。細胞から下へ削るのではなく、最も単純な化学から、上へと組み立てた。できあがったものは、かなり見事だった。

単純な、油に似た性質の分子は、適した水の中では、自分たちで小さな袋になり、大きな分子を内側に包む。同じ分子をさらに加えると、小胞はそれを取り込んで大きくなる。細長い糸のようになった小胞は、軽くかき混ぜるだけで、たくさんの子の小胞に分かれる。中身を漏らすこともない。

その小胞の膜には、選択性もある。小さな原料分子は通り抜けられるが、大きな核酸の鋳型は中に残る。外から原料が入ってきても、内側の鋳型は逃げ出さない。2013年、彼らは、このような原始細胞の模型の中で、酵素を使わず、鋳型に従ってRNAを合成できることを、直接示した。

競争まで、実現した。小胞の内側で長い鎖が増えて圧力が高まると、その小胞は、周囲からより多くの膜の材料を奪い取る。隣の小胞から、膜を横取りするのだ。

育ち、分かれ、中では複製ができ、仲間と資源を奪い合う、小さな袋。あと一歩に聞こえる。残るその一歩とは、これらをつないで、一つの輪にすることだ。

一組のゲノムが小胞の中で完全に複製され、二本の鎖が離れる。同時に膜が成長し、小胞が確実に二つに分かれ、二つの子の小胞が、それぞれ、働く遺伝の仕組みを一式ずつ受け取る。そして、子の世代が、その過程を丸ごと繰り返す。しかも、この全体の仕組みが、外の単純な原料から、複製に必要な触媒を、自力でつくり直せなければならない。

この輪は、いまだに閉じていない。欠けているものは、漠然と「まだ遠い」という話ではなく、一つずつ指で示せる。 まず、原料の自給である。今、最も力のある複製系でも、原料と膜の材料は、実験者が直接入れている。つなぐ反応に必要なエネルギーまで、与えてもらっている。

鎖の分離もある。鋳型を写すと相補的な鎖が一本でき、二本はくっついたままになる。現代の細胞は、専用のタンパク質でそれを引き離す。酵素がないとき、RNAを切らずに、穏やかな条件でどう引き離すか。それだけで、一つの難所である。誤りの限界もある。配列が長くなると、複製の誤りが積み重なる。ある程度まで積み上がれば、機能を担う情報が、すべて失われてしまう。

触媒の再生も必要だ。本当に自己を維持する系なら、複製に要る触媒そのものを、複製できなければならない。世代が変わるたびに、実験者が補充していては足りない。

ここで、最も強い実験系をいくつか、あの作業上の定義の隣に並べ、照らし合わせてみよう。互いを触媒するリボザイムには、指数関数的な複製がある。遺伝する変異がある。選択もある。

代謝はない。膜もない。原料は、実験者が正確につくっておく。脂肪酸の小胞には、区画があり、取り込みがあり、部分的な鋳型の複製がある。複製と分裂が一周する、完全な循環はない。

翻訳の仕組みを備えたRNA複製系は、細胞に似た区画の中で、ダーウィン進化を遂げられる。しかし、大量の、あらかじめつくられたタンパク質製造の機械を使っている。その成熟した生物の部品こそ、「ゼロからつくり直す」という試みが、由来を説明しなければならないものだった。どの系も、定義の一部は満たしている。全部を同時に満たすものは、一つもない。

今日まで、非生命の原料から始めた実験系で、自己を維持する化学、完全に自律した繁殖、持続可能なダーウィン進化を、同時に実現したものは、一つもない。

八 標本は一つ。道具は、その一つに合わせてつくられた

では、生命が生まれるという出来事は、いったいどれほど起こりやすいのだろう。よく聞く直感がある。地球が住める場所になってから、生命は、かなり早く現れたように見える。だから、起源そのものは、そう難しくないのではないか。この推論には、具体的な穴がある。

私たちが見ているのは、無作為に並べた惑星の中から、たまたま抜き出した一個ではない。この問いを立てる観察者を、すでに生み出した惑星である。標本を選ぶ条件の中に、「ここでは、十分に早く生命が生まれていなければならない」という条件が、初めから入っている。

いい換えれば、その上に人が立って問いを発せる惑星は、どれも、生命がすぐに生まれたように見える。

生命の起源を、一定の発生率をもつ偶然の過程に近似し、統計的に分析した研究がある。結論は、こうだった。「観察者が現れるには、その前に生命が何十億年も存在している必要がある」という条件を入れると、実際の起源の発生率が非常に低くても、「私たちは、生命が早く生まれた成功例の上にいると気づく」という観測とは、なお両立する。

それでも、数字を出した人たちはいる。最も楽観的な推定は、地球型の惑星で10億年以内に生命が生まれる確率は、少なくとも1割強あるとした。しかし、地球を無作為に取り出した標本として扱っており、ちょうど先ほどの穴に落ちている。別の推定は、より慎重な方法を使ったぶん、結論もずっと控えめになった。データは「起源は速い」側に傾き、少なくとも約3対1で、そちらを支持した。多少の証拠にはなるが、決着にはほど遠い。

だから今なお、「生命が生まれる確率」と呼べる、十分に根拠のある数字はない。そして「標本が一つしかない」という言葉そのものにも、もう一つの意味がある。

知られているすべての細胞生命は、同じ中核の装置を共有している。タンパク質をつくる機械、ほぼ共通の遺伝暗号、同じ一組の基本的なアミノ酸、タンパク質の中で同じ側にそろった左右の向き、そして、同じ種類のエネルギー通貨。これは、地球に現存する数百万の種を、数百万回の独立した起源の出来事として数えられないことを意味する。

起源を問うとき、それらはおそらく、一度の起源が残した、一つの標本にすぎない。一つである。

2005年、第二節で水のたとえを使ったクリーランドが、ある微生物学者と一緒に、一つの考えを提案した。2009年には、さらに別の研究者たちと共著した論文で、その考えを詳しく展開した。

初期の地球の同じ条件のもとで、生命が一度生まれたのなら、何度も生まれたかもしれない。そして、二度目の起源から続く子孫が、違う生化学を使っていたとすれば、今も、私たちの知る生命と共存しているかもしれない。ただし、DNAやリボソームを目印にする微生物学の方法からは、丸ごと取りこぼされている。影の生物圏、という考えだ。

この考えは、いまだに体系的な検証を受けていない。確かめたい人がいないからではない。 検出の道具そのものが、すでに知っている一種類の生命に合わせて、つくられているからだ。

DNAを増幅する方法には、その酵素が認識できる核酸が必要になる。汎用のプライマーは、対象の生物にリボソームがあることを前提にしている。培地も、それ自体が選別器だ。「培養できない微生物」という呼び名からして、今の培養条件が、生態的な可能性のごく狭い範囲しか覆っていないことを示している。環境から遺伝物質を直接取り出して配列を読む方法も、それが抽出でき、配列を読める、標準的な核酸であることを前提にしている。

どの道具も、探し始める前に、探すものの姿を決めている。だから、本当に第二の生命があるとしても、それは、見たことのない配列として画面に現れない。画面には何も出ない。何も検出されない。見つからないことが、存在しないことと、まったく同じに見えてしまう。

逆に、変わったものが見つかっただけでも足りない。2010年に、そのような出来事があった。2009年のあの論文の著者の一人が、アメリカ、カリフォルニア州の塩湖で、ある細菌を培養した。そして、その細菌はリンの代わりにヒ素を使い、自分のDNAにヒ素を組み込めると発表した。

アメリカ航空宇宙局は、そのために記者会見を開いた。2年後、二つの研究室が、それぞれ実験をやり直した。どちらも、DNAの中にヒ素があることを確認できなかった。2025年、もとの論文を掲載した学術誌は、その論文を撤回した。

だが、その細菌が本当にヒ素を使っていたとしても、それだけでは、まだ足りなかった。既知の生命が極端な適応を遂げた一例であり、私たちと祖先を共有している可能性が、なお残るからだ。

二度目の起源を示すには、共通祖先をもつ可能性を排除しなければならない。さらに、既知の生命と遺伝子を交換した可能性も退ける必要がある。変わったものを一つ見つけるより、はるかに難しい。

地球の外で、生命の発見に最も近づいたのは、2025年9月だった。その前年、火星探査車が、ある岩の上に広がる小さな斑点を撮影していた。一つの大きさは約1ミリ。縁が暗く、中心が明るい。ヒョウの模様に似ていた。

それは、これまでで最も明瞭な、生命の可能性を示す痕跡と呼ばれた。「可能性」という言葉は外せない。この斑点は、生命がいなくてもできるかもしれない。ただし、その場合は通常、摂氏100〜200度ほどの高温を必要とする。ところが、研究者たちは、その岩から加熱された跡を見つけられなかった。第五節の糸状構造と、同じ状況にある。生物を使わない説明を、完全には排除できず、生命による説明も、まだ確証できない。

2026年8月の時点で、火星にも、木星の衛星エウロパにも、土星の衛星エンケラドスにも、確認された生命の標本は一つもない。エウロパには、氷の下に塩水の海があるという強い証拠がある。探査機エウロパ・クリッパーは、2024年10月14日に打ち上げられ、2030年に木星系へ到着する予定だ。その任務が答えようとしているのは、生命に適した場所かどうかである。生命がいるかどうかではない。

この種の探査の本当の価値は、住めそうな場所を、もう一つ見つけることにはない。地球の生命とは独立に生まれたと証明できる、第二の標本を手にして初めて、統計の問題と定義の問題は、同時に質を変える。水や有機物やエネルギー源を見つけても、標本の数は、一から二にはならない。

第一節の錐体へ戻ろう。論争の両側は、同じ判定基準を使っている。その基準は、実際に働く「構」だ。項目があり、使うことができ、いくつかのものを、確かに止めてきた。

そして、その基準は、確かに動いてもいる。同じ錐体が、2016年にはストロマトライトとして記され、2018年には別の向きに切られ、2019年には、また擁護された。この「構」が閉じないのは、関わる人たちの調べ方が粗いからではない。

囲い込もうとしているもの、そのものに、一本の縁がないからだ。123通りの定義を経ても、ウイルスはそこにいる。ウイロイドも、プリオンも、そこにいる。ミミウイルスは上へ伸び、ウンカの体内にいる68個の遺伝子の細菌は下へ縮む。その線上は、ずっと埋まったままだ。

判定基準は、なおふるい続ける。岩石は、なお切り直される。実験室では、鎖が一つ、また一つとつながれていく。系譜は、まだつながらない。なお、分かれ続けている。

関連研究・確認に用いた資料