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Non Dubito

結婚論 · 04

若いころは、そんな人ではなかった

二十年以上続けた分担の前に、陶芸を習いたい午後がやってきた。年月の残した習慣は、今日の本人のために、もう少し場所を空けられるだろうか。

Han Qin ·

孟秋雲は五十二歳の年、省都で週三日の陶芸教室に申し込んだ。何守成に伝えたとき、彼は夕食を待っていて、まずその三日は誰が料理するのかと尋ね、それから「若いころは、そんな人ではなかった」と言った。秋雲は申込用紙を卓上へ置いた。「私は二十年以上、あなたの食事を作ってきたのに、あなたは三日も作れないの?」

その晩、二人はそれ以上話さなかった。守成がこの家のために何もしてこなかったわけではない。秋雲が突然自分の考えを持つようになったのでもない。長く使ってきた取り決めは、普段は机や椅子のように、あえて話す必要もなかった。今日、それを少し動かそうとする人が現れ、初めてまた音を立てたのだ。

若いころ、彼は三交替で働き、彼女は中学校で教えていた。食事と日々の家計は彼女が、修理や重いものの移動は彼が担うと決めた。その年の取り決めには理由があった。しかし二十年以上たち、娘は家庭を持ち、勤務も変わり、人も変わった。昔の時間割一枚で、今日の夕食まで決め続けられるだろうか。

昔のあなたは、今日のあなたに代わって承諾できない

「若いころは、そんな人ではなかった」は、ただの驚きかもしれない。懐かしさを含む場合もある。だが、その先が、もともとそういう人ではなかったのだから今日の考えは認めない、という意味なら、過去を思い出すだけでなく、過去を使っていまの彼女を判定している。

長く知っていることは親しさであって、変化を止める資格ではない。かつて秋雲が多くの時間を家に使おうとしたことまで、偽りだったとは限らない。今日陶芸を習いたいからといって、立つ場所を得るために、過去二十年をすべて間違いだったと宣言する必要もない。

二人の時間はずっと交わってきた。昔の「食事は私がする」が、彼のその後の多くの夕方に入り込んだ。今日の「週三日行く」も、すぐ彼の暮らしへ入ってくる。だから変わることは、心のなかで考えを取り替えるだけではない。前の考えに合わせて待っている人にも触れる。

一緒に暮らしを組み直すために、深いところの違いをすべて解消する必要はない。守成は初め、家には時間どおり食事を作る人が必要だと思っており、秋雲は教室を諦めたくなかった。それでも、どの日は作り置きにし、どの日は彼が作り、どの日は外食するかを話せる。それは新しいやり方であって、先に二人を同じ人にすることではない。

後から守成自身の考えが本当に変わることもあるだろう。料理は女性の役目だと思っていたのは、幼いころからそう聞いてきただけだった、と気づくかもしれない。自分で考え直し、もうそうは考えないと引き受け、二人で新しい分担が合うことを確かめたなら、それはまた別の変化だ。料理を始めたというだけで、周囲が内側でどちらの変化が起きたかを認定はできない。

自分の考えが変わることと、二人が合意し直したことも、同じではない。一方がひそかに納得しても、もう一方が知っているとは限らない。一方が以前どおりにはしないと決めても、新しい共同の取り決めが自動的に成立はしない。選び直すことは、今日の当人たちのあいだで起こる必要がある。周囲の理解のなかだけで済ませることはできない。

分担は、借用証書でも身分でもない

「誰が料理するか」は、もともと一つの取り決めだった。それがいつしか「彼女はこの家で料理をする人だ」になれば、仕事が本人に貼りつく。さらに変えられなくなると、取り決めは時間を配分するだけでなく、一人の生活を狭め始める。

その変化を、誰も正式に宣言していない場合もある。ただ彼女が帰りを遅くしたいと言うたびに、彼が不機嫌になる。それが重なると、申し込む前からその顔を思い浮かべ、やがて言い出さなくなる。けんかがないことは、問題がないことを意味しない。もちろん、長年静かだっただけで必ず支配されていたとも決められない。具体的にどう働いていたのかを見る必要がある。

彼女自身がずっと変えにくいと思っていただけで、守成はまだ聞いたことがない場合もある。本人が習慣を変えてはいけないと考えることと、相手がそれを阻むことは、分けて見なければならない。わかりやすい責任者を見つけるために、一人のためらいをすべて配偶者のせいにしてはいけない。

秋雲の「二十年以上やってきた」には、まず聞くべきものがある。毎日急いで帰った夕方、説明しなくてもいつも引き受けることになった疲れ。数を聞いた途端、愛は勘定ではないと言うなら、その年月の声をまた消すことになるかもしれない。

疲れた、見てほしい、変えたい、と彼女は言ってよい。それは本当の状況を食卓へ持ってくることだ。しかし同じ言葉が、相手の将来をすべて返済に決めるために使われる場合もある。あなたには借りがあるから、これから何を言っても、まず借りのある側なのだ、と。二つの使い方は字面だけでは区別できない。その晩の材料が足りなければ、まず判定を完了させないでおきたい。

分担そのものも、取引である必要はない。守成が水道管を直すのは、毎食の代金を払うことではない。秋雲の料理も、将来の修理代を前払いしているとは限らない。共同で引き受けた分担には、量の違いがあってよい。量が等しくないことは、自動的に誰かが不当に扱われた証拠にはならない。しかし量が公平に見られていないことを、そのひと言で飛ばすこともできない。

二人にはそれぞれの貢献がある。それを話し合っても温かさは傷つかない。ときには温かさの名のもと、誰も話してはいけなくなることこそが、温かさを損なう。今日もう以前どおりにはしたくないと言う資格を得るために、不満が大げんかになるまで待つ必要はない。

後で仲直りしても、前のことは消えない

ある年、秋雲はようやく言った。「旧正月はいつもあなたの実家でしょう。私も自分の故郷へ帰りたい」。口にする前に、心のなかで何度も練習していた。守成には突然に聞こえた。「何年も、ずっとこうだったじゃないか」。一人には昔からのことでも、もう一人には初めて本当に聞いたことかもしれない。

望みを伝える根拠にも違いがある。沈黙を選択の代わりにし続けてはいけないと、自分に求める場合がある。大きな予定は早めに話そうと、二人が明確に決めている場合もある。単に彼がもっと話してほしいと望んでいるだけの場合もある。自分への要求、共同で決めたこと、まだ相手が引き受けていない期待を、「夫婦なら当然」で一つに混ぜてはならない。

だから、彼女が話さなかったことは、直ちに彼に対する負い目にはならない。彼が知りたいと望むことも、余計な干渉とは限らない。期待は話し合いに持ち込めるが、それだけで、以前から存在していた義務をさかのぼって生むことはできない。何をすでに約束し、何をいま相談する必要があるか。分けることで、かえってつなげる機会が生まれる。

二人は年ごとに実家を交替する案を話し合った。夜が遅くなり、一度話を止めたこともあった。中断は息継ぎになることもあれば、繰り返すうちに永久に順番の来ない問題へ変わることもある。同じ中断が次の機会を保つのか、次の機会をすり減らすのか。「また今度」のひと言だけではわからない。

衝突によって、初めて相手の困りごとがわかることはある。同時に、衝突は本当につらい。あの晩の不眠や、その後一週間のよそよそしさを、ようやく取り決めができたからといって、有意義な代価と呼ぶ必要はない。理解が少し増えても、代償は残る。何かが変わったと認めるために、傷を美化しなくてよい。

逆に、長年衝突がなかったことも、自動的な好評価にはならない。本当にうまく合っている場合もあれば、一人がもう言い出せない場合もある。回数は答えをくれない。言葉がまだ届くのか、違いが生じたとき、それを置く場所があるのかを見たい。

新しい取り決めが解決するのは、これからの暮らし方だ。それ以前の不機嫌の一回一回に、同意を後づけするものではない。指摘された問題には向き合う必要があり、その後、戻って認め、修復しようとするかも見る価値がある。両方を同時に見ればよい。一度の謝罪で過去を消さず、過去だけで、その後の真剣さをすべて消すこともしない。

陶芸教室の三週目、守成は写真を送り、鍋のご飯は水が多すぎるだろうかと尋ねた。秋雲は授業が終わってから、少し多いけれど今日はお粥と思って食べよう、と返した。この晩だけで、結婚がついにどこへ至ったかを証明はできない。ただ今日、一度の食事が、彼女の帰りだけを待つものではなくなった。

長い年月のあとでも、取り決めを少し動かせること。それがとても具体的な思いやりになる場合がある。若いころ約束もしなかった完璧な人間になることは求めない。あの二人が今日も、いまの自分を家へ持ち帰る機会を残すだけなのだ。

原論文と読み方について

婚姻論の八篇の論文をもとに、主要な区別と日常の例を保って書かれた文章です。技術的命題や哲学上の比較をすべて逐条再現するものではありません。日本語版は意味を保ちながら、独立した文章として書き直しています。夫婦の登場人物と、描写のために加えた暮らしの細部は、いずれも架空の例です。実際の事例の報告でも、特定の結婚生活に対する処方でもありません。論文が考察するのは、二人の成人の間に成り立つ結婚の一つの形です。他の形を否定したり、議論の範囲外にいる人に優劣をつけたりするものではありません。例には男女の夫婦が多く登場しますが、性別の組み合わせは議論に入るための条件ではありません。制度上の承認と解消は、それぞれの具体的な規則によります。本文は現行法の手引きでも、心の中の愛を測るテストでもなく、必要な安全確保や保護に代わるものでもありません。

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