自分で歩いた最後の配置
堀木とヒラメに病院へ行くと言われ、葉蔵は車に乗り、鉄格子のある病棟へ自分で入る。誰かの方向へ従う生涯の最後の反復である。扉が閉じてから「人間、失格」と判じる。連れてこられた配置を、自分の本質についての判決として受け取ってしまう。
借り物の尺度
失格は試験や競技の語で、規則、資格、判定者を前提とする。だが人間である基準も、葉蔵へ宣告した裁判官も存在しない。彼が使うのは幼少期から読んできた他人の表情という尺度だけだ。一生、他者の基準で自分を調整した者が、最後には同じ基準を想像上の法廷として自分へ向ける。
手記を最終証言にしない枠
三つの手記は誠実だが、誠実さは結論の正確さを保証しない。ツネ子、シヅ子、ヨシ子の内面は葉蔵に見えず、最悪の時期の彼が自分を評価する。太宰はその告白を、写真を見る「私」のはしがきとあとがきで囲んだ。したがって「失格」は作品の結論ではなく、作品内の一証言となる。
マダムが持つ最後の言葉
あとがきで京橋のマダムは、葉蔵を素直で気が利き、神様みたいないい子だったと回想する。道化の動機が恐怖でも、長年他人へ注意を向けた行為は、相手には気遣いとして届いていた。隠した自画像を竹一が認めた事実も自己判決に合わない。小説は反対の二証言を置き、より後の発言を葉蔵ではなく他者へ渡す。
対象作品: Osamu Dazai, No Longer Human (Ningen Shikkaku). 太宰治の原作語彙と枠物語の構成に即し、道化・受動性・自己証言を読む独立した日本語批評です。