国家間の協力 · 05
協力をやめることと、服従を迫ることはどう違うのか
燃料を止め、銀行の決済を止める。同じ手段でも、一方は自ら決める権利を守ると言い、もう一方は侵害を止めると言う。誰がしたかより先に、何を変えさせ、誰に負担を負わせているかを見てみよう。
石峡邦は、高原連邦の艦隊の補給基地を置くことを断った。もう一つ、艦隊が通年、検査なしで通航でき、すべての船に開かれた登録所への届出も不要とする要求も断った。数か月後、港の燃料価格は以前の二・一倍になり、二つの病院は発電機の燃料を割当制で使い始めた。
そのあいだに、何があったのか。高原連邦は燃料輸出を停止し、水産物と繊維製品の関税を引き上げ、三つの銀行の決済を止めた。石峡邦はもともと、燃料の約七割を連邦から輸入し、水揚げの約四割を連邦に売っていた。漁港ではおよそ三万一千人が職を失い、輸入業者の支払いは平均二十六日遅れた。
三界の協力の枠組みは、これに対し共同措置を採った。高原連邦の二つの機関の資産を凍結し、その鏡海艦隊への燃料、部品、港湾サービスの提供を止め、三種類の金属の輸出を制限した。どちらも、自分たちが何を提供しないか決めただけだと言う。道具だけを見れば、ほとんど同じである。国名を変えれば、判断まで変わるのだろうか。
「しない」と言うことで、何をしているのか
まず、あまり気持ちのよくないことを認めておきたい。協力をやめれば、相手は実際に損をする。商売をしたことがあれば、買い手を失うつらさはわかるだろう。相手が自分の物を奪っていないからといって、楽になるわけではない。損失があるかないかが、この区別ではない。「あなたのためだ」という言い分なら、なおさら違う。
このシリーズが考える協力では、各々がまず決められるのは、自分が協力を続けるかどうかだ。ある港が艦隊への給油をやめても、それだけでは、その艦隊の次の行き先を代わりに決めたことにはならない。ただし、口ではまだ断れるというだけで、選択肢が残っていると判断してはいけない。生きていく道をすべて塞がれたあとでは、「自分で決めた」という言葉だけが残ることもある。
だから、もっと具体的に問いたい。ほかに燃料を手に入れる道はあるのか。拒否の代価を負いながら、なお生活を続けられるのか。その負担を受けるのは決定をした人々なのか、それとも病院にいる人たちなのか。侵害をやめるよう求めること、すでに引き受けた約束を果たすよう求めること、もともと断る権利のある方向を受け入れさせることも、同じではない。
石峡邦は、このときなお拒否を続けられた。NUTが鉄道で燃料を送り、不足分の約四割を補った。UCSEは別の決済経路を開き、共和国も燃料を積んだ船を二隻送った。したがって、損失の大きさだけから、石峡邦の判断が完全に他国に取り上げられたとは言えない。反対に、持ちこたえたのだから圧力に問題はなかった、とも言えない。
高原連邦が何を変えさせようとしたかが、やはり重要になる。補給基地を置くか、艦隊を通常の登録の対象外にするかは、もともと石峡邦が自国の島と領海について決めることだった。必ず同意すると約束していたという記録はない。拒否の直後に経済命令が出されたため、協力の枠組みは両者の関係を問うたが、連邦からの返書はそこに答えなかった。見えてくるのは、本来自分で決められることを変えさせるために、損得によって圧力をかけているという構図である。
共同措置の側は、その経済命令を対象にしているのであって、連邦の政治体制を変えたり、加盟国好みの発展を求めたりしているのではない、と説明した。これは、引き続き確かめることのできる違いだ。「私たち」の措置だから当然に正当なのではない。実際の行動が説明した目的を越えていないか、一つずつ追う必要がある。
少なくとも、三つの点は飛ばせない。相手に、断ったり関係を中断したりする余地はまだあるか。どの行為を変えるよう求めているのか。措置の影響を受ける人は、決めた場所まで問いを届けられるか。いずれも見る必要があるが、三つに印をつければ正しさが保証されるチェック表ではない。
病院の燃料は、資料より先まで言い切ってはいけない例だ。記録にあるのは、割当制で使ったということまでで、発電機が何時間停止したか、患者がそのために亡くなったかは書かれていない。燃料が圧迫されたのは事実だが、生命を支える条件がすでに断たれたかどうかは、資料が足りない。心配を、確認済みの惨事に書き換えても、批判が強くなるわけではない。
凍結された金は、まだあなたの金ではない
次に、凍結された資産を見よう。加盟国の銀行にあり、共同措置によって一時的に使えなくなっているが、元本は依然として元の機関のものだ。凍結と没収の違いはここにある。資産を使うための協力を一時的に提供しないことと、その金の使い道を代わりに決める権限を得ることは違う。
石峡邦はこれだけ損をしているし、金も手元にあるのだから、賠償に回せばよいのではないか。簡潔な話に聞こえる。しかし、誰が誰に賠償の義務を負い、額はいくらで、どう認定し、誰が執行するのかという、いくつもの問いを一つにしている。金を押さえている側だけが決めるなら、自分自身の事件で裁定者を兼ねることになる。
このシリーズが示す方向は、損失は記録に残し、賠償は合意か裁決によって精算し、没収で精算の代わりにしないというものだ。凍結中に生じた利益が誰に属するかは、具体的な法に委ねる。ここで考えているのは、協力の哲学的な境界であって、現実のあらゆる資産紛争について法律上の結論を宣言することではない。
凍結も、終わりがなくてよいわけではない。名目上はあなたの資産でも、私は永久に触れさせず、いつでも新しい条件を足せるのなら、「取り上げてはいない」は言葉遊びに近づく。ある行為を対象とする凍結は、その行為が止まり、関係する責任も適切に精算されたあとまで、別の譲歩を迫る道具として続けるべきではない。
では、精算済みだと誰が決めるのか。凍結した側だけでも、された側だけでもいけない。双方が受け入れた合意か裁決に照らすべきだ。まだその根拠がなければ、定期的に見直し、現在も続ける理由を改めて説明する。去年凍結したから、今年も自動的に続く、ということにはしない。
この物語に、都合のよい終結は用意されていない。第十八年、高原連邦は経済命令を撤回し、共同措置は期限を迎えた。UCSEは、石峡邦の損失について合意か裁決による確認ができるまで、資産凍結だけをさらに一年延ばすよう求めた。ほかの二国は反対し、石峡邦は棄権した。提案は通らず、資産の凍結は解除された。
ここで、二つのことを混ぜてはいけない。「措置を延長しなかった」は、「損失は存在しない」ではない。また、「損失がまだ精算されていない」から「凍結をずっと続けなければならない」が導かれるわけでもない。見直しの資料は、経済命令が撤回されたことと、賠償の根拠となる合意がまだないことの両方を記した。加盟国の判断は分かれ、残る損失は別に話し合う必要がある。
気持ちのよい勝利とは言いにくい。しかし、解除された措置だけを書けば、読者はすべて終わったと思うだろう。金を押さえておくべきだとだけ書けば、そもそも誰に債務を認める権限があるのかが消える。両方を残して初めて、この選択の難しさが見える。
免除の条文があっても、薬は届かない
共同で決めることは、責任を逃れるのにも便利になりうる。政府は、みんなが同意したのだと言う。共同会議は、実施したのは各国だと言う。問いに来た人が二つの入口を往復しているあいだも、薬は倉庫にある。手続きが一層増えたために、一人ひとりはほんの少ししか担当せず、合わせると誰も答えない、ということにはできない。
最初の共同措置では、共和国は採決で棄権したが、三項目すべてを実施した。NUTは賛成票を投じたが、資産凍結の一項目には参加しないと公表した。どう投票し、何を実施したかは、分けて記す必要がある。棄権は実施について答えなくてよくなる理由ではなく、賛成も全項目を実行した証拠ではない。共同の手続きは、措置そのものをどう設計したかについても答える。
灰河沿いの別の措置は、この問題をさらによく映す。沙洲での拘禁と一斉調査に対応して、加盟国は渡し場の商業貨物の往来を止め、人道物資は例外とした。しかし、石峡邦の許可審査には平均四十一日かかり、浄水薬剤は軍民両用品として通せなかった。川沿いのある診療所では、低温管理を要する薬が二か月途絶え、週二日しか診療できなくなった。
そこで「免除は設けてある」と言うのは、開かない扉の前で、札には出口と書いてあると説明するようなものだ。医師と五十八人の村人は申立委員会に問いを届けた。担当者の誰が遅かったかだけでなく、共同措置がなぜこのように物資を分類し、許可の仕組みを設けたのかも問うている。枠組みの外に住んでいるからといって、共同措置がその人たちにしたことに答えなくてよくなるわけではない。
後に審査期限は十五日に短縮され、浄水薬剤は軍民両用品の一覧から外され、渡し場には週二回、人道目的の市場が開かれた。方向は変わった。しかし、届かなかった数か月は消えない。診療所が閉じた日々も、商店が失った収入も、元の措置を承認し実施した側に、なお問いかけている。新しい規則で古い問いを相殺することはできない。
通商協定にも目を向けよう。高原連邦はNUTに対し、自国を対象とする第三国や多国間の経済措置には一切参加しないと、あらかじめ保証するよう求めたことがあった。NUTは後にその条項を受け入れなかったが、ある資産凍結には参加しないと自ら決めた。目の前の効果は似ている。それでも、なぜ分けるのか。
次の機会には違いが出るからだ。事前に相手に約束してしまうなら、これから何が起きても参加しないと委ねることになる。一件ずつ理由を述べるなら、今回はこう判断したが、次は変えられる。前者は将来の答えを渡してしまい、後者は自分のもとに、そして他者が問える場所に残す。協力が共謀へと滑るのは、ときにこうした小さな違いからである。
自分たちの加盟国にも、同じ点検を向けなければならない。UCSEが後に枠組みの外にある外沙へ入り、管理事務所を置き、住民を登録したことを、仲間だからと優しい名前に変えてはいけない。支援を止めること、問うこと、記録すること、共同手続きへの参加を一時停止することも検討できる。しかし、その停止によって、UCSEが説明する機会や、影響を受けた人が問う道まで撤去してはいけない。
制裁、凍結、供給停止という言葉を見ても、すぐにどちらかの標語を自分のものにしなくてよい。まず一つの行動を追って問える。何を提供しないのか。相手の何を変えたいのか。いつやめるのか。誰が負担しているのか。戻ってきて、あなたに問う道はあるのか。問いだけで立場は決まらない。それでも、どちらを支持するかを、国名だけで決めずに済む。
原論文と読む範囲
『SAE国家間協力論』をもとに公開された中国語の読者向け散文から、日本語で独立して書き直した。元の散文にある論証、事例、限定を保っているが、論文の命題や付録を一つ残らず技術的に訳したものではない。事例中の制度条文は、一つの選択を示しており、唯一最善の設計を証明するものではない。問うこと、答える義務、強制執行を分け、後に政策が変わっても、先の問いが原因だったと自動的に結びつけない。各篇から対応する原論文へ進める。実際の歴史を読む関連エッセイは英語・簡体字中国語・繁体字中国語の現行版で読める。この日本語版でたどる架空の物語とは、別の読み物として設けている。