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Non Dubito

童話を読む · 01

金を紡ぐ小人――死を突きつけられて約束した母親は、まだ生まれていない子を引き渡さなければならないのか

『ルンペルシュティルツヒェン』――命を脅かされて交わした約束は、取引に加わっていない未来の子どもまで縛れるのだろうか。

Han Qin ·

粉屋は王によく思われたくて、自分の娘は藁を金に紡ぐことができる、と大きなことを言う。その一言で父親は一目置かれるが、その場にいない娘には、できるはずのない仕事が降りかかる。翌日、娘は城へ連れていかれる。部屋いっぱいの藁と、糸車と糸巻き。王は、夜明けまでに全部を金にしなければ殺す、と命じ、自分で扉に鍵をかける。父親が口にしたことを、最後には娘一人が証明させられるのである。

娘が部屋で泣いていると、小人が入ってきて、助ける代わりに何をくれるか、と尋ねる。娘が首飾りを差し出すと、小人は糸車の前に座り、糸巻きを一つ、また一つといっぱいにして、部屋中の藁を金の糸に変えてしまう。朝、金を見た王は驚き、満足する。しかし娘を解放せず、もっと大きな部屋へ連れていく。今度もやり遂げなければ命はない。その晩も小人は現れ、娘は指輪を渡す。そうして二度目も、無事に朝を迎える。

二度成功しても、仕事は終わらない。王が次に娘を入れた三つ目の部屋には、さらに多くの藁が積まれている。今度できたら妻にしよう、と王は言う。二晩にわたる死の脅しのあとで、結婚が急に褒美になる。けれど娘は相変わらず、自分にはできず、自分から引き受けたのでもない仕事の前に残されている。三度目の小人に、もう渡せる飾りはない。そこで小人は、王妃になったら最初の子をくれ、と求める。先のことはどうなるかわからないし、ほかにどうすることもできない。娘はそう考えて承知する。

最後の晩も小人は仕事を済ませ、娘は本当に王妃になる。ここまでなら、いくつもの交換はすでに片づいたようにも見える。彼女は助けられ、小人は報酬と約束を手にし、王は金と、たいへん裕福だと自分が思っている妻を得た。この結果だけを見れば、あとは約束どおりに進めるべきだ、と考えやすい。だが、初めの二晩に渡した首飾りと指輪は娘自身の物だった。三晩目に差し出したのは、別の人間の未来である。糸車は同じ仕事をしていても、交換するものは変わっている。

この違いを指摘しても、小人の助けが消えるわけではない。三部屋の金を作ったのは彼で、娘が生き延びられたのも、確かに彼のおかげだった。救われたあとで、聞いてもいない条件を突然付け加えたのでもない。働く前に、自分が何を求めるかは明かしている。何も差し出さず、ただ子どもを欲しがる怪物として描いてしまえば、娘があのとき本当に頼った相手が見えなくなる。だからといって、救いが実際にあったことを認めれば、救う側の示した代価が何であっても成り立つ、とは言えない。まして、助けられた本人のものではない命が代価になっている。

娘にも選択がまったくなかった、とするのは違う。求められたことを理解し、目の前の死と、まだ遠く不確かな将来とを比べて、まず生きることを選んだ。それは窮地に置かれた彼女自身の判断である。あとになって約束をそのまま履行すべきではないと考えるからといって、当時の娘を意志のない物のように扱ってはならない。ただし、その判断をしたのは、誰かに扉を施錠されたあとのことだ。父親の大言を拒むことも、自分の力で王の命令を果たすこともできなかった。この部屋を約束から切り離せば、彼女が自分の口で言った「承知しました」に、実際よりはるかに大きな自由があったように見えてしまう。

一年後、王妃に子どもが生まれる。もう小人のことを考えていなかった彼女の部屋に、当の小人が突然現れ、約束の報酬を引き取りに来たと言う。彼からすれば、一年待って受け取りに来ただけだ。彼女にとっては、以前にはまだ形のなかった可能性が、いま目の前で生きている子どもになっている。おびえた王妃は、国中の富を差し出すから子だけは残してほしい、と頼む。昔の約束を軽く一言でなかったことにしたのではない。返そうとしている。ただ、以前の返し方だけは受け入れられないのだ。

小人は富を断る。生きているものは、世のあらゆる宝より自分にとって大切なのだ、と言う。金を増やせば折り合える話にはならない。王妃にはいま、首飾りや指輪をはるかに超えるお返しができる。それでも彼が欲しいのは、金銭で置き換えられないその子だけだ。子どもをどう扱うつもりなのか、物語は教えてくれない。なぜそれほど子を求めるのかを断定できるような身の上話もない。わかるのは、彼がこの生き物を大切だと思い、母親が以前した約束を、その命を連れていく根拠にしているということまでである。

だが、一つの命を大切に思うことと、その命を自分のものとして引き取る権利があることとの間には、まだ答えられていない問いがある。子どもは金を紡いでくれと頼んでいない。娘と王の間に設けられた試練にも加わっていないし、母親を生かすために自分を差し出すと承知したこともない。母親には、向き合わなければならない過去が確かにある。しかし自分が元の約束どおりに返せないからといって、その負債を子に引き継がせることはできない。首飾りから指輪へ、そして子どもへと進むにつれて変わったのは、報酬の値が上がったことだけではない。約束を口にした人一人では、その結果をすべて引き受けられなくなっているのだ。

もちろん、親の決定が子の将来にまったく影響しないようにはできない。子がまだ選べないうちは、どこに住み、どう暮らし、誰が世話をするかを、大人が先に決めるほかない。それでも、そうした決定は子がどう生きるかを中心に考え、成長に応じて本人が答えられる余地を開いていくべきものだ。子をそのまま恩人に約束してしまうのは、それとは違う。生まれる前から、その人生はまず母親の過去の交換を完了させるためにある、と決めてしまう。あらゆる子育ての決定に伴う難しさ一般ではなく、他人の人生にまで決定権を伸ばす、ある特定のやり方なのである。

したがって、この過去を認めるために、「約束をそのまま果たす」か「助けなどなかったことにする」かの二択に追い込まれる必要はない。王妃は、救われたことを覚えていてよいし、自分に決められる範囲を超えた約束をしたことについて、説明や埋め合わせを引き受けることもできる。しかしその責任を子に渡したり、母親が約束を守る人間だと示すために母親から離れなさい、と子に求めたりはできない。小人がした仕事も、子どもがこれから生きる生活も、どちらも見なければならない。その二つを認める方法が子の引き渡ししかないのなら、問題は、王妃があとから履行したくなくなったことだけではない。最初の代価の決め方そのものに、子どもが一人の人間として生きる余地がなかったのである。

泣き続ける王妃に、小人はとうとう別の条件を出す。三日以内に名前を当てれば、子は連れていかない。以前にはなかった道が、確かに開かれる。小人が一切の変更をいつまでも拒んでいたわけではないこともわかる。ただ、期限も、出題する問いも、失敗した場合の結果も、まだ彼が決めている。王妃は、もっと妥当な埋め合わせにしてほしいと求めることはできず、彼が設けた出口を通るために努力するしかない。耳にした名前を片端から思い出し、使者をあちこちへ送って尋ねさせる。一人で向き合っていた取引は、何人もの人が加わる探索になる。

初めの二日間は、ありふれた名前も、珍しい名前も、奇妙な名前も当たらない。三日目、使者が森の奥から戻ってくる。小屋の前で誰かが火の周りを踊りながら、もうすぐ王妃の子を連れていく、と歌っていた。その歌の中で、自分の名前まで口にしたという。王妃はようやく答えを知る。小人がまた来ると、まず別の名を二つ挙げ、それから本当の名を告げる。小人は、悪魔がお前に教えたな、と怒り狂い、片足を地面に踏み込み、最後には自分を二つに引き裂いてしまう。

鮮やかな結末だけに、読者の注意は勝ち負けへ集まりやすい。王妃は期限内に名前を言い、子は手元に残り、子を求めた者は自制を失って滅びる。けれど、名前を当てたからといって、元の取引が公正になるわけではない。なぜ子が母親の約束をほとんど引き受けさせられるところだったのかも、説明されない。王妃は相手の認める試験に合格したのである。あの約束をそのように実行すべきでないと物語の中で先に証明しなくても、この一回に勝てば、子を守ることはできた。

最後の対決が強烈であるほど、最初の部屋は背景へ退く。終わりまで読んでも、小人は負けを認めるだろうか、と私たちは気にする。その一方で、粉屋はなぜ娘の命を自分の大言の証拠にできたのか、王は最初の金を得たあともなぜ要求を引き上げられたのか、と尋ねることは少なくなる。小人は敗れたが、王は金も、妻も、子も失わない。娘を初めから窮地へ追い込んだ人間の一人なのに、最後まで答えを求められる側には立たされない。

王を見ることは、小人がその後にしたことを、すべて王のせいにすることではない。子を求め、富を断り、名前当ての条件を設けたのは、小人自身の選択だ。助けたことがあるからといって、後の選択をすべて、貸しがある以上は当然だと説明することはできない。同じように、小人の要求を非難すれば、王の死の脅しが関係のない前置きになるわけでもない。父の大言、王の強制、助け手が求めた代価、生き延びようとした娘の承諾は、それぞれ違うことをしている。最後まで争っている二人だけが、問われるべき人のすべてとは限らない。

そう考えると、残るのは「口にしたことは守るべきか」という問いだけではなくなる。約束を真剣に扱うべきなのは、それが他人の将来の見通しや準備を変えるからだ。だからこそ、何を約束したのか、どんな状況でしたのかを問わずにはいられない。約束の中へ書き込まれた全員を、話し手が自由に扱ってよいとも決めてはならない。あの三晩、娘が懸命に生きようとしたことは本当である。後になって子を引き渡せないという思いも、ただ乗り越えるべき弱さなのではない。

王妃はようやく約束から解かれ、子は自分が誰に約束されていたかを知らずに済む。童話はここで終われる。けれど読者は、糸車のそばにいた娘を、もう一度振り返ることができる。「承知しました」と言ったとき、部屋の扉には鍵がかかっていた。引き渡すと約束した相手は、まだこの世に生まれてさえいなかった。この言葉がどこまで人を縛れるかを考えるには、娘の返事だけを聞いて済ませてはならない。施錠された扉も、約束の中に入れられながら一度も取引に加わっていない子どもも、見失うわけにはいかないのである。

出典

現在公開されている中国語の随筆を底本に、日本語の読者へ向けて独立して書き直した。原作の全文翻訳ではなく、下記の版と参照テキストに即した読解である。小人の助けが実際にあったこと、娘にも困難の中で判断があったこと、子どもは取引に参加していないことを、互いに打ち消さずに読む。物語が語らない小人の過去や子どもへの意図は補っていない。

版についての注記

底本はグリム兄弟『子どもと家庭の昔話』第七版(一八五七年)の第五十五話「ルンペルシュティルツヒェン」で、D・L・アシュリマンの全文英訳を参照している。本篇は物語の読解であり、原作の逐語訳ではない。初めの二度の仕事には死の脅しが明記され、三度目には結婚という褒美が明記される。身動きのできない状況が続いていることを、三度目にも原文で改めて死刑が宣告されたかのようには書かない。名前当てと、小人が自分を引き裂く結末はこの版に従い、後代の改作とは混ぜていない。