Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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大知道徳経解
第三十六章 · 全八十一章

この章は権謀を教えていない

秦汉(大知)· Han Qin

本章の中国語原文

帛書の校訂本文 · 本注で採用した読み

将欲歙之,必固张之。将欲弱之,必固强之。将欲去之,必固兴之。将欲夺之,必固与之。是谓微明:柔弱胜刚强,鱼不脱于渊,邦利器不可以示人。

底本と句読点について

著者の『道德经注·君子不器』で採用した帛書の校訂本文に基づきます。甲本・乙本を参照し、校訂や補字を加えたもので、どちらか一方を一字ずつ写した翻刻ではありません。章番号は通行本に、句読点は本注に従います。閲覧言語を切り替えても、経文の中国語表記は変わりません。

本章のもとになった論文を読む(英語・中国語)

一 厚黒学として読まれてきた章

『道徳経』第三十六章は、権謀の教えとして読まれてきた。ここでは別の入口を探してみたい。

「将に之を歙(ちぢ)めんと欲すれば、必ず固(しばら)く之を張る。将に之を弱めんと欲すれば、必ず固く之を強くす。将に之を去らんと欲すれば、必ず固く之を興す。将に之を奪わんと欲すれば、必ず固く之を与う。」

収めさせたければ、まず張らせる。弱めたければ、まず強くさせる。消したければ、まず興らせる。奪いたければ、まず与える。

この四句は、数えきれない人に権謀術数として読まれてきた——「ライバルをつぶしたいか。なら、まず持ちあげろ。ふくらませ、頂点まで舞いあがらせたところで、一気に刈り取れ」。泳がせてから捕まえる。ほめ殺し。糸を長く垂らして大物を釣る。

これは厚黒学版の老子である——この四句を、策謀家のための手引き書として読んでいる。(厚黒学とは、清末民初の李宗吾が説いた、「面の皮は厚く、腹は黒く」という処世の術である。)

二 四つの対が語るのは、構造の力学

「歙」は収めること、「張」は広げること。続く弱と強、去と興、奪と与も、逆向きの動きを並べている。第二十九章の行と随、強と羸も、目立つ片面だけを見ないよう促す。

ここから本文は、行動が逆効果になる場合に目を向ける。拡大のために借金を重ね、成長が重荷になる。子どもを従わせようと何でも代わりに決め、判断を学ぶ機会を奪う。「強」が悪なのではない。その使い方が、強さを支える条件を損なっていないかという問題だ。

例外のない自然法則ではない。弓は戻ることも折れることもある。拡大した企業は衰退することも、方針を変えることもある。結果には条件がある。危険が見えたあとにも、判断と行動は必要だ。

三 策略に自分を渡さない

相手を持ち上げてから倒す。そうした読み方には、古い歴史がある。『韓非子』の「喩老」は、戦争や贈り物の逸話を使って、この句を説明している。現代人だけが勝手に作った読みではない。古注の本文

私は、この章をそのような手引きにはしたくない。ただし、権謀に反対することと、権謀はかならず失敗すると証明することは別である。人を操った側が利益を得て、関係のない人が先に代償を払うこともある。

第二十九章とつないで読むと、別の問いが立ち上がる。相手を自分の筋書きどおりに倒すために、どれだけの時間と注意を使うのか。思いどおりにならなければ、さらに賭け金を積むのか。そのうち、自分の暮らしまで相手を中心に回りはじめる。

ここで警戒したいのは、その巻き込まれ方だ。他人を配置できる物として扱うことが、自分をも結末の支配に縛りつける。だから危ういのであって、先に負ける順番が決まっているのではない。罠を仕掛けないとは、世界に復讐を代行してもらうことではなく、復讐に自分の進路を決めさせないことである。

四 是を微明と謂う

「是を微明と謂う」。小さな変化は、目立つ勝敗の中に現れるとは限らない。第三十三章の「自ら知る」と重ねて、自分の位置や盲点も見る明るさとして読みたい。

成功を報告するチームの資源が細っている。協力は続いていても、相手が本音を言えなくなっている。微明は誰の敗北が決まっているかを知ることではなく、成功を支える条件の変化に気づくことだ。

気づいたつもりが、勘違いだったこともある。ならば聞き続ければいい。「最初から見抜いていた私」を新たな看板にしない。見る目的は、行動を事情に近づけることであって、予言者の席に座ることではない。

五 柔弱は剛強に勝つ

「柔弱は剛強に勝つ」。まず、風にしなる生きた枝を思い浮かべよう。曲がるから、戻ることもできる。曲がれないものは、衝撃をそのまま引き受けなければならない。

ここでの柔らかさは、力のなさではない。また弱さは、傷つけられている人に、もっと譲れと命じる言葉でもない。変化に応じる余地を考えるための対照であって、強い側はいつも負け、弱い側はいつも勝つという予測ではない。

競争相手が無理な拡大をしていても、それを煽るためにこちらまで資金を燃やす必要はない。自分の資金、製品、持ちこたえられる範囲を確かめる。相手は失敗するかもしれないが、成功するかもしれないし、方針を変えるかもしれない。自分の計画は、一つの結末だけを前提にはできない。

仲間を守る、不当な要求を断る、被害の記録を残す、危険な協力関係から離れる。そうした行動は必要になりうる。手放すのは他人を操る計画であって、判断や準備、自分を守る責任ではない。

六 魚は淵より脱せず

「魚は淵を脱せず」。魚には水が要る。この素朴な姿は、華々しい能力から、それを支える環境へ目を向けさせる。第三十三章の「其の所を失わざる」と重ねれば、私を生かす条件は何かと問える。

実際に役立つ技能、本音を話せる関係、安定した収入、睡眠、一人になる時間かもしれない。目立つ肩書のためにそれらを使い果たせば、肩書が手に入っても暮らしがよくなるとは限らない。

ただし、人は魚ではなく、淵も誰かに割り当てられた身分ではない。転職してよいし、傷つけられる関係を離れてよい。守るのは古い位置そのものではなく、生き、判断し、向きを変えられる条件だ。離れることで、それを取り戻す場合もある。

七 邦の利器は人に示す可からず

「邦の利器は以て人に示すべからず」。利器からは、武器、権力、統治の手段など、いくつもの議論が開ける。古人がただ「看板を立てるな」と言っていた、と決めることはできない。

本文では、力を誇示することへの抑制として読む。決定権を持つ上司も、異論のたびに地位を見せつける必要はない。人を処分できることと、恐怖で職場を動かすことは別だ。

「魚は淵を脱せず」と並べれば、力を見せるより、それが成り立つ条件を養う姿勢が見える。ただし、公的な責任まで隠してはならない。誰が決め、資源をどう使い、誤りをどう問うかには明確な手続きが要る。説明責任は自慢ではなく、秘密にすることも、それだけでは知恵にならない。

八 読者へ

この章は、「うまくやる」の意味を考え直させる。相手の次の一手を全部読めることより、圧力のなかでも自分の方向を見失わないことだ。

拡大する相手を前にしたら、自分が続けられる仕事を確かめる。挑発には、応じる意味があるかを考える。沈黙は選択肢であって、被害に遭っても黙る義務ではない。力を示したくなったら、説明責任と威嚇を区別する。

魚の淵は、生活を支える条件を忘れるなという比喩として読める。古い仕事や関係を離れてはいけないという意味ではない。国の利器を誇示しないことも、公の権力を監視から隠す口実にはならない。

向きを変えられる余地を残す。やるべきことをしながら、結末のすべては決められないと認める。誰かが倒れることで、自分の生き方の正しさを証明する必要はない。