Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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SAE価値論 · 日本語独立再構成版
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価値ではないもの

Han Qin (秦汉)

珠と箱

昔、見事な箱に入った珠を買い、箱だけを残して珠を返した者がいたという。笑うべきなのは趣味の悪さではない。彼の手元には、木材や細工や香りを比べる物差しはあった。しかし珠を測る物差しはなかった。測れないものが、ないものとして返された。

価格は偽物ではない。交換、比較、会計には不可欠である。ただし価格には、少なくとも二人と共有された尺度が要る。宇宙に一人しか主体がいなければ、その主体には値段が定義できない。それでも、その主体が目的であること、その生に固有の価値があることは失われない。価値と価格は、高低の違いではなく、成立条件の違う二つの概念である。

方向と余項を価値にしない

SAEの権力論は、働きかけが相手の可能性を開くか閉じるかを評価する。これは変換の方向についての価値であり、変換を受ける人の値段ではない。誰かが抑圧されたから、その人の価値が下がるのではない。むしろ価値が下がらないからこそ、抑圧は悪い方向として批判される。

余項にも値札は付かない。余項とは、どんな構成も対象を汲み尽くせずに残すものを示す操作上の語であって、主体の奥に隠れた宝石ではない。「無価だから無限に高価だ」と言えば、結局は価格の領域へ戻してしまう。値段が無限なのではなく、値段の定義域の外にある。

構造はあるが、序列はない

価値の源泉は主体の構造に応じて異なる。しかし、後に開かれる源泉が前のものより高級だという階段はない。生成の順序と価値の順位は別である。より多くの次元を使えることは、より価値ある存在になることを意味しない。

反対に、外部の共通尺度を退けたからといって、価値が「本人がそう言えば何でもよい」になるわけでもない。好みは変わり、誤り、誘導されうる。価値には構造があり、具体的な内容が自分のものになるには、本人が自分の法のうちで引き受け、言い直し、撤回できなければならない。合言葉は一つである。構造はある。だが序列はない。

三つの語を分ける

ここで「価値」は三つに分かれる。価格は交換構造の読みであり、二人以上と共有尺度を要する。方向価値は、ある働きかけが相手の次元を開くか閉じるかの読みである。目的価値は、主体が目的として立つこと、そして外部の物差しでは代替も換算も尽くすこともできない、その主体自身の価値である。

「役に立たないものにも価値がある」という古い直観も、ここに位置づく。役に立つことが悪いのではない。問題は、用途の一覧が主体の全体を占め、自分の価値を他者の利用可能性だけで読むことである。守るべきは無用の優越ではなく、用途によって尽くされない目的の場所である。