Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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SAE · Plato's Republic · 日本語編集・再構成版
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追放された詩人は何を持ち去るのか

Han Qin (秦汉)

詩に対する三つの訴え

『国家』の終盤、ソクラテスは模倣詩追放の判決を再開する。彼は幼い頃からホメロスを敬愛してきたと告白し、それでも人より真理を尊ぶべきだと言う。第一の訴えは三つの寝台である。寝台のイデア、職人の寝台、画家の寝台。模倣は真理から三段離れた外観を作る。

第二に、ホメロスは実際にどの都市を立法し、どの戦争を指揮し、どんな技術を残したのか。第三に、使用者は道具の働きを知り、製作者は使用者から正しい意見を得るが、模倣者は機能について知識も正しい意見も持たない。さらに悲劇は、他人の苦しみに対して理性が抑えようとする悲嘆を養う。

余りを聞こえるままにする

SAEは詩の仕事を別に見る。どの概念も境界を引き、取りこぼしたものを残す。詩はその余りを、すぐ解決や用途へ変えずに聞こえる場所へ置く。助言では扱えない悲しみが歌によって共有されても、問題が解けるわけではない。ただ私的で無言のままではなくなる。

プラトンは詩が乾かすべき感情へ水をやると言う。SAEは、乾燥は消滅ではないと答える。沈黙した余りは、余りが存在しないと誤認されやすい。しかも洞窟、太陽、分割線、最後のエルの物語まで、プラトン自身の哲学は詩の道具を手放していない。

表現と操作をどう分けるか

だがプラトンの反問は残る。悲しみに声を与える歌と、悲しみを利用して行動を煽る歌は同じ感情の入口を通る。受け手が「理解された」と感じることが、その人を動かす手段にもなる。

SAEは応答能力を広げるか、選択肢を狭めるか、仕組みを隠すか、といった試験を提案できる。それでも内側の経験を保証する尺度はない。プラトンは判別を信用できず、技芸全体を締め出す。詩を残す側は、好きな詩だけを解放的と呼ばない基準を負う。追放された詩人が持ち去るのは、市民的な用途をまだ持たない声である。