制度はどこまで厚くし、どう自分を削らせるべきか
大きさと厚さは同じではない
国家には複雑な規則が必要で、友人同士には制度など要らないと思われがちだ。しかし何万人の趣味コミュニティでも、無傷で退出できるなら数条の規則で足りるかもしれない。二人の婚姻でも、財産、ケア、私生活、表現、子どもが深く交差し、退出費用が高ければ精密な仕組みが要る。
SAEが制度の厚さを決める二つの変数は、関係の交差密度と退出費用である。交差が多いほど未処理の余項が積み重なり、退出が難しいほど「嫌なら去ればよい」を是正手段にはできない。名称や人数ではなく、条件が必要な厚さを決める。
最小化は条文を減らす競争ではない
制度の最小化原則は、必要のないものを構築しないことだ。規則を一つ増やせば、解釈、執行、裁定が要り、権力に利用される新しい対象も生まれる。古い問題を処理する制度は、将来に削り直すべき余項も作る。
しかし退出費用が高く、力が非対称で、関係が密なのに制度を薄くすれば、裁定権は暗黙に強者へ渡る。正しい最小とは、主体を守るのに十分で、理由のない増分がないことだ。条文数の最少ではない。どの力の差にこの手続が要り、どの退出不能な交差をこの権利が守り、なぜ権力の大きい側にこの義務があるのかを説明できなければならない。
制度も退化する
退化には少なくとも三つある。第一は閉鎖で、批判と修正の通路を塞ぎ、規則を問いの外へ置く。第二は空洞化で、美しい文面を残したまま保障と牽制が働かなくなる。第三は過剰構築で、共同の交差を越え、個人が何を信じ、愛し、どのように生きるかまで指定する。
いずれも道具が目的の地位を奪う。したがって制度には、自分へ鑿を入れる仕組みが要る。改正手続、独立審査、表現の保障、外部からの評価、定期点検、実質的退出である。重要なのは独立性だ。批判される側が批判の到達範囲をすべて決めるなら、それは管理の一部でしかない。
完成ではなく余項を公表する
成熟した制度は「完成した」と宣言しない。まだ解けない対立、現行規則が生む新しい費用、条件が変われば再審査すべき箇所を公開する。中核原則の改正に高い壁を置くことはできるが、余項のない永遠の構築物を装ってはならない。
ここまでの十三篇でSAEの倫理・制度上の基礎は完結する。次の二篇は新しい義務を加えず、主体性の由来をさらに下へ探る選読である。読まなくても前の議論はそのまま成立する。存在論まで理論深掘りしたい読者だけが先へ進めばよい。
この区切り自体も制度設計の一例である。基礎を使うために形而上学上の同意を要求せず、論争的な追加説明には別の入口を置く。中心と周辺、必須と任意を明示すれば、理論もまた読者の分岐権を尊重できる。
したがって、ここで読むのを止めることは理解不足ではない。倫理を使う資格も失わない。次へ進むかどうかを読者に返すことが、理論自身の最小化と自己修正可能性を守る。