運命自身に弁論させる
運命が証言台に立つ
第二巻で〈哲学〉は、運命の声を借りて弁論し、ボエティウスに公正かどうかを裁かせる。運命はまず管轄を問う。自分が彼から、本当に彼のものだった何を奪ったのか。財産や官職が人間固有の所有物だと示せるなら、訴えの正しさを認めよう。彼女は自分が敗れる条件を先に提出する。
人は裸で生まれ、運命から富と名誉を借りた。貸したものを取り戻すことが、なぜ窃盗なのか。晴天と嵐、花の季節と寒風、静かな海と荒れる海が交替するのに、人間の欲望だけが運命へ不変を命じられるのか。車輪に乗った者は上昇を喜べても、下降だけを規則違反とは呼べない。ここには事実、類比、先例、立証責任、敗北条件がそろっている。
返答より先に書かれた評決
弁論の後、〈哲学〉は「もし運命がこう語れば、あなたには答えがない」と先に枠を置く。ボエティウスは、華麗な言葉や音楽が止めば悲しみは戻る、と応じる。これは治療の効き方への異議であって、所有権の論点への答えではない。彼は外的な善が無条件に自分のものだとは示さない。
その後〈哲学〉自身が、外的なものは本性上よそ者であり、運命にもそれを人間の所有にする力はない、と論じる。これは運命の主張を単純に退けるのではなく、最も強い部分を徹底する。運命は「私のものを貸した」と言った。〈哲学〉は「そもそも誰のものでもない」と進める。運命の立証基準は残るが、運命本人は二度と発言しない。
反対者は敗者ではなく尺度である
SAE第一批判も、各主張に最強の反対者を置く。しかし反対者の役目は、勝訴か敗訴かを決めることだけではない。首尾一貫した異議が可能であるという事実が、元の主張に与えられる資格を制限する。完全な認識が可能だと考える人の立場を、SAEは内部から最終的に無効化できない。その分岐が成立しうるため、SAEの主張は最強の身分を得ない。
したがってSAEは反対説を吸収せず、分岐の住所を記録する。その道が住める理論になるかは、その道を選ぶ者が自分で建設しなければならない。〈哲学〉は運命の事件を本人以上に整え、最後にはその立ち位置まで占める。SAEは相手の入口を示すが、相手に代わって家を建てない。
強い敵を持つことの代価
相手の最良の議論へ答える方法は、弱い代用品を倒すよりはるかに強い。外的善についての〈哲学〉の議論も、運命が所有を難しい問題にしたからこそ成立する。運命の弁論は挿話ではなく、第二巻を支える梁である。
ただし「あなたの主張には同意する。しかも私の方が一貫して述べられる」と返すとき、相手には続けて語る場所が残らないことがある。会議録に少数意見を残す慣行は、その逆を行う。その場では負けた見解も、半年後の失敗時には別の道を保存している。〈哲学〉が運命に強い事件を与えたことは大きな成果だ。その代価は同じ場面に刻まれる。弁論を終えた運命に、この本は二度と発言権を返さない。