Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
← 『風が強く吹いている』を読む
1 / 5

安い家賃には条件があった

Han Qin (秦汉) · 日本語版 · 2026-10-09

この版について

この版について:中国語原作をもとに、日本語の文章として独立に書き直した。全23話のテレビアニメを主な対象とし、必要に応じて三浦しをんの原作小説を参照する。予選会の方式、寛政大学陸上競技部、ハイジの動機に関する記述は中国語原作で校訂されている。シリーズ全体の結末に触れる。

深夜の街を、ひとりの若者が走っている。店からパンを盗んだばかりで、後ろから追われている。

走る姿が、美しい。足を運ぶリズムが乱れず、重心は低く、腕の振りに無駄がない。素人が逃げているのとは一目で違う。何年も鍛えてきた人間の走りだ。その身体をいま、彼は一袋のパンを店から持ち去るために使っている。

自転車が横に並ぶ。乗っている男はその速さに合わせ、顔を向けて尋ねる。なあ、走るのは好きか、と。

追われている若者は蔵原走、カケル。社会学部の1年生だ。口下手で、人とあまり話さない。いまは住むところさえなく、あてもなく街をさまよっている。

声をかけた男は清瀬灰二、ハイジ。文学部の4年生だ。自転車をこぎながら、気軽に道でも聞くような調子で尋ねている。

その夜、ハイジはカケルを古いアパート、竹青荘へ連れていく。家賃は不自然なほど安い。住む場所のない1年生が迷わずに済むほどに。

カケルはそこに住み始める。

なぜこんなに安いのか。その夜、彼に説明する者はいなかった。

この連作の五つの文章は、すべて、口にされなかったその条件から始まる。

そこには、すでに九人が住んでいた

竹青荘は、ただの学生アパートではない。

寛政大学陸上競技部の錬成所だ。そしていまは、清瀬灰二が箱根駅伝に出るために用意した場所でもある。

箱根駅伝は、日本の大学長距離界を代表する最大規模の大会だ。二日間、十区間で東京と箱根を往復し、総距離は二百キロを超える。出場するには予選会を通過しなければならず、その予選だけで大多数の大学がふるい落とされる。寛政大学の陸上競技部に至っては、ハイジがあの言葉を口にするまで、そもそも部として存在しているのかさえ怪しい。

カケルより先に住んでいた九人を、ひとりずつ挙げておきたい。これから起きることが、その一人ひとりの身に降りかかるからだ。

城太郎と城次郎。ジョータ、ジョージと呼ばれる1年生の双子で、いつも二人一緒だ。何をするにも一緒なら、逃げるときも一緒である。

柏崎茜。文学部の2年生で、寮では王子と呼ばれている。部屋は漫画だらけで、床が重みに耐えられるか心配になるほどだ。金も時間もすべて漫画につぎ込む。十人のうち運動が最も苦手で、その差はわずかなどというものではない。

ムサ・カマラ。タンザニアから来た留学生で、工学を学んでいる。故郷から一万キロ離れたこの地に来たのは、ひとえに勉強のためだ。

岩倉雪彦、通称ユキ。法学部の4年生で、司法試験には3年のときにすでに合格している。それでも、学業とその先の進路は、彼自身の生活に属する課題だ。

坂口洋平、通称キング。4年生で、いまは就職活動の真っ最中。面接の予定が詰まっている。

杉山高志、通称神童。3年生。成績がよく、何事にも地道に取り組む。

平田彰宏、通称ニコチャン先輩。ひどいヘビースモーカーで、大学生活はすでに六年目。在籍を続けること自体が問題になっている。

それに、ハイジ自身が加わる。

この九人の大半は、走る生活をしたことがない。「足が遅い」という話ではない。走るという行為そのものが、彼らの日々にはなかったのだ。

ここに住む理由はカケルと同じ。家賃が安いからである。

十人目は、見つけて連れてこられた

先にいた住人たちとカケルでは、この計画のなかでの位置がひとつ違う。

ハイジはほかの住人たちと、この建物で出会った。もともと住んでいた者、家賃の安さに引かれて入ってきた者。彼は何年もの準備のあいだ、古くからいる住人を毎日見て知っていった。その過程で、新しく加わった者もいた。すでにある材料のなかから選んでいたのである。

カケルは違う。見つけられ、連れてこられた。

あの夜、自転車に乗っていたハイジは、街を走る見知らぬ若者を見かける。数秒見てから向きを変え、追いかけた。そのとき彼は、相手の名前も年齢も学部も、なぜ走っているのかも知らない。ただ、その走る身体だけを見た。

つまり、選んだ根拠は一分にも満たない観察であり、観察していたのは運動能力だった。

その意味でカケルは、十人のうち唯一、最初から計画を組み立てる一員として探し出された人間だ。ほかの者は「たまたま、ここにいた」。彼だけが「まさに、探していた相手」だった。

そして追いついたハイジが尋ねたのは、走るのは好きか、ということだった。

この一言は、計画のなかで特別な位置にある。相手自身について尋ねた、唯一の言葉だからだ。それまで見ていたのは身体だった。関節の具合、歩く姿勢、どのくらい走れそうか。けれど、この問いが向かうのは、好きかどうかである。

その問いが発せられた場は、運動能力を見込んでの勧誘だった。

二つは同じ瞬間に起こる。作品は、それらを切り離さない。

歓迎会で告げられたこと

カケルが入居すると、寮で歓迎会が開かれた。

酒がひと巡りしたところで、ハイジが立ち上がり、宣言する。この場にいる十人で、箱根駅伝に出よう、と。

九人が真っ先に思ったことは同じだった。だまされた。

ここでは、彼らが何を言ったのかを省かずに置いておこう。この建物で、皆が一斉に声を上げる、ただ一度の場面だからだ。

議論と呼べるような光景ではない。十人がひとつの卓を囲み、そのうち九人が同時にしゃべっている。声はますます大きくなる。立っている一人は、笑みを浮かべたまま、言い終わるのを待っている。

漫画好きの王子の抗議が、いちばんわかりやすい。百メートルも走れない。自分の生活は漫画なのだから、そんな話はまるで関係がない。煙草を吸う先輩は大学六年目で、考えるべきは卒業だ。法学部生には学業と、その先の進路がある。4年生は就活中で、面接の予定がぎっしりだ。留学生は工学を学ぶために一万キロ離れた故郷から来たのであって、優先すべきは学業である。双子は入学したばかりの1年生で、自分たちが何をしたいのかさえ、まだよくわからない。

九人の誰にも、すでに取り組んでいることがある。それは走ることとは関係なく、ハイジとも関係がない。

ここは少し立ち止まりたい。つい飛ばしてしまいがちなところだからだ。

暇を持て余す九人の若者に、夢を持つ一人が火をつけた、という話ではない。それぞれに大事な用事があり、予定があり、次に進むべき道がある九人が、ある晩、これからの一年を別の人間の計画に合わせて組み直すよう告げられたのだ。法学の勉強と練習に使う時間を組み直し、面接は練習と重ならない時間を選び、学籍の問題は別の手を考える。工学の勉強と一日二回の練習を、同じ二十四時間のなかに押し込まなくてはならない。

誘いを断ったのではない。気づいたときには、すでにその話のなかにいたのだ。

誘いなら断れる。だが、これが明かされたとき、前提の一部はずっと以前からできあがっていた。古くからの住人は、何年もハイジの作った飯を食べ、彼が整えた日常を生きてきた。双子が加わったのは最近で、カケルは入居したばかりだ。全員に同じ年月の共同生活があるわけではない。新しく来た者は、すでに形のできた日常に入ってくる。

名簿はどう作られたか

あの夜を過ぎて、ようやく少しずつわかってくる。彼らが同じ屋根の下にいたのは、偶然ではなかった。

ハイジはこの建物に何年も住んでいた。そのあいだ、皆の朝夕二食を作り、掃除をし、さまざまな雑用を引き受けてきた。同時に、一人ひとりの健康と身体の状態も見ていた。

共同生活のなかで、住人たちの身体を少しずつ知っていく。長く暮らす相手ほど、詳しくわかる。誰が何時に起きるか。どんな姿勢で歩くか。階段で息が切れるか。子どものころ何をやっていたか。関節に古傷はないか。

それに、彼には癖がある。脚を見るとなると、遠慮なく手で触る。

立ち上がって計画を告げる前に、ハイジには、長く知る住人の身体条件について、かなり行き届いた見立てがあった。新しく加わった者については、その理解はまだ始まったばかりだ。カケルの場合、まず手がかりになるのは、あの夜に見た走りだった。

もうひとつ、言っておかなければならない。必要な人数は、最初から決まっていた。

箱根駅伝は十区間。一校につき十人が走る。多くても少なくてもいけない。

竹青荘にはすでに九人いた。ハイジは十人目を待っていた。

そしてあの晩、街で自転車を走らせて追いついた若者の走りを見て、その場で確信した。彼だ、と。入居したカケルを紹介するときに与えられた肩書きは、「十人目の選手」だった。

ほかの住人たちは、自分たちが数に入れられていることを知らない。ましてや空いている一室が、必要な人数に合わせて残されていたとは思いもしない。

飯を作ることは、同時に、長い時間をかけた観察でもあった。

ここで彼の動機に評価をつける必要はない。順序だけ並べればいい。先に住みつき、皆の食事と雑用を引き受け、長く暮らす住人の生活のリズムと身体を、時間をかけて把握した。新しく来た者についての理解は、まだ始まったばかりだった。そのうえで、全員がそろい、少し酒も入り、皆が彼に多少なりとも好意を持っている夜に、あの言葉を口にした。

条件が明かされたのは後だった。それを目指すハイジの準備は、何年も前から続いていた。

比べるために、別のやり方を考えてみると、仕組みが見えやすくなる。

もしハイジが玄関先に「箱根駅伝への出場希望者、入居歓迎。家賃優遇」と貼り紙をしていたら。入ってくる者は誰もが条件を知ったうえで、自分で扉をくぐる。勘定もできるし、断ることもできる。途中で無理だと思えば引っ越せる。

作品にある順序は違う。安い家賃が先にある。古くから住む者には、何年もの共同生活も先にある。食事、掃除、健康管理、身体を詳しく知ってもらうこと。その日常ができたところへ、新しい住人が加わる。

あの言葉が出たとき、古くからの住人にとって「引っ越す」という選択肢は、すでに最初の意味を失っている。住む場所を変えるだけでは済まず、何年も続いた関係から抜けることになる。入ったばかりの者には、まだ同じ長さの関係はない。

その変化は、誰かがある日に行った一つの行為ではない。時間がしたことだ。

彼は、皆の心の動きを知っていた

九人が抗議しても、話は止まらなかった。

その後について、公式の紹介は、ハイジがときに巧みに、ときに強引に彼らの心理をつかみ、箱根を目指していく、と説明している。

この一文は、いくつもの具体的な振る舞いにほどける。優しく言えば動くのは誰で、強く押したほうがいいのは誰か。面子を気にするのは誰か、人からどう見られるかを気にするのは誰か。一言で火がつく者もいれば、一対一で時間をかけて話すべき者もいる。彼はそれを知っている。

就職活動中の相手に、夢の話はしない。学籍に問題を抱えた相手には、また別の言い方をする。何でも二人一緒の双子には、別々に話しても効かないと知っている。故郷から一万キロ離れ、勉強をいちばんに考える留学生には、まったく違うものを差し出す。

そうした会話は作品のあちこちに散らばり、日々の暮らしの合間に挟まれている。台所で交わされることも、料理の手を動かしながらのことも多い。

相手が違えば、方法も違う。

これは、先ほどの観察の裏表だ。一人ひとりを実際によく見てきたからこそ、一人ひとりを実際に説得できる。

相手についての同じ知識が、その人に合った練習計画を作るためにも、その人にうなずかせるためにも使える。作品では両方が起こり、どちらも同じ人間が行っている。

この点は後にも繰り返し現れるので、ここで押さえておきたい。ハイジが九人を知っているというのは、本当のことだ。深く、身体にまで届くほど具体的に知っている。その理解から、二つのものが生まれる。一人ひとりのために用意された、その人だけの段取り。そして、その一人ひとりが説得されるときの方法だ。

どちらも、同じ材料からできている。

作品は二つを分けて描かない。どちらが手段でどちらが目的かとも言わない。ただ、同じ人に、同じ時期に、両方のことをさせている。

しかも話は、この建物のなかだけにとどまらない。大家の田崎も関わっていて、チームの後援会代表を兼ねている。ほかの大人たちにも、この計画のなかでそれぞれ役目がある。つまり、あの夜の発表は一人の思いつきではない。周囲の体制までできあがった計画が、当事者たちの前に差し出されたのだ。

予選会という関門

発表から本番までのあいだには、厳しい関門がひとつある。

箱根駅伝に出るには、まず予選会を通らなければならない。各大学の選手が二十キロを走り、上位の一定人数のタイムを合計する。その総時間で大学の順位が決まる。

この方式では、一人か二人が速いだけでは足りない。

十三分五十秒で走る天才が一人いても、それだけではどうにもならないのだ。上位選手全員の時間が加わるため、誰かの遅れによって大学ごと出場を逃すことになる。

つまり、経験の浅い住人たちも、一人残らず、本当に一定の水準まで走れるようにならなければならない。「参加してみる」でも、「脇で手伝う」でも済まない。一人ひとり、自分の時計を具体的な数字で止める必要がある。

この規則によって、第一篇の問いはひどく現実的になる。あの晩ハイジが口にしたことを実現するには、九人の一人ひとりから、一年が必要なのだ。

全体像を知らないまま、そのなかにいた

カケルが入居した日から、十人が実際にスタートラインに立つまでには、いろいろなことが起きた。時間の使い方も、身体も、生活の段取りも、家族との関係も。全員の暮らしが、一度ずつこの計画によって書き換えられた。

だがあの晩、話は頓挫しなかった。九人が抗議したあと、ハイジは一人ひとりに話をする。話し終えたときには、九人に大家を加えた全員がうなずいていた。

翌日から、竹青荘の生活時間が変わる。朝も夜も練習がある。食事の時刻は決まり、量は一人ひとりに合わせられる。調子がおかしければ、その場で声がかかる。安いアパートだった古い建物が、初めからそのために準備されていた、本来の姿になる。

そして、いちばん初めの時点について、ひとつだけは確かなことがある。

九人のなかに、全体像を理解してからここに誘われた者は、一人もいない。

誘われたときに知らされたのは、家賃が安いということだった。

何かに巻き込まれたあとになって初めて、自分が何に巻き込まれたのかを知ることがある。

この物語において、それは抽象的な問いではない。具体的な、時間の順序だ。

入居が先。条件は後。同意は、さらに後。全体像が見えるのは、もっと後になる。

この順序は作品のなかにはっきり示されている。推理をしなくてもわかる。隠された暗部というわけでもない。公式の紹介にも、竹青荘はハイジが自分の箱根の夢のために人材を集める錬成所だと書かれている。

同時に、もうひとつ明白なことがある。九人はその後、走りきった。走り終わったあと、後悔したと言う者は誰もいなかった。

二つとも、この作品にある。その二つがどういう関係にあるのかについて、この連作は答えを出さない。

答えを出してしまえば、ここまで読んだ一人ひとりに代わって、判断を下すことになるからだ。そして、その判断に必要なもの、つまり自分は人に何へ巻き込まれてきたのか、自分は人を何へ巻き込んできたのかは、読む人自身の手元にしかない。

この第一篇がするのは、順序をはっきり並べることだけだ。

ついでに言えば、この五篇では、清瀬灰二がどういう人間なのかを判定するつもりもない。

逃げているのではない。作品そのものが、そういうことをしていないからだ。彼を詐欺師にも預言者にも仕立てない。彼がしたことを、一つずつ並べていく。同じ一文にはとても収まりそうにないことまで並べ、そして次の出来事へ進む。

作品がそうするのは、読む側が自分で受け止められると信じているからだ。この五篇も、その歩き方についていく。

あの夜、最も激しく抗議したのは王子だった。百メートルも走れず、部屋は漫画で埋まっている。九人のうち、断る理由がいちばん揃っていたのは彼だ。

その十か月後、箱根駅伝一区のスタートラインに立っていたのは、その彼だった。

次の篇では、なぜ彼がそこにいるのかを見ていこう。

『風が強く吹いている』。原作:三浦しをん(新潮社)。テレビアニメ:監督・野村和也、脚本・喜安浩平、アニメーション制作・Production I.G。2018年10月から2019年3月まで放送、全23話。本連作はアニメ版を基準とし、原作小説に拠る箇所は個別に記す。