何度答えても続く『なぜ』に、大人は疲れる。好奇心のときもあれば、頼まれたことを先延ばしする作戦のときもある。しかし同じ一語の中に、異なる問いが隠れている。
何が起こしたのかという原因、何のためかという目的、なぜあなたが決めてよいのかという理由。公平さを問う子に仕組みだけ説明しても満たされず、安全の話をしているのに権威だけを示しても伝わらない。
子どもは自分で選んでいない仕組みの中にいる。『なぜ』は、そのルールが誰かを守るのか、大人の都合なのか、単に強い人が決めたのかを確かめる数少ない手段でもある。
とはいえ、すべてを説明し終えるまで動けないわけではない。道路を渡ってから話す、今日は決めて後で見直す、分からないところは分からないと言う。行動の期限と説明の責任を分ければよい。
守りたいのは終わらない問答ではなく、事実も目的も権力も問えるという感覚だ。理由を聞ける子どもは、将来自分が力を持つときにも理由を示す人になれる。