「簡単です」と答える、その前に
本章の中国語原文
帛書の校訂本文 · 本注で採用した読み
为无为,事无事,味无味,大小多少,报怨以德。图难乎其易也,为大乎其细也。天下之难作于易,天下之大作于细。是以圣人终不为大,故能成其大。夫轻诺必寡信,多易必多难。是以圣人猷难之,故终于无难。
底本と句読点について
著者の『道德经注·君子不器』で採用した帛書の校訂本文に基づきます。甲本・乙本を参照し、校訂や補字を加えたもので、どちらか一方を一字ずつ写した翻刻ではありません。章番号は通行本に、句読点は本注に従います。閲覧言語を切り替えても、経文の中国語表記は変わりません。
一 軽い返事が、重い仕事になる
依頼の説明が終わる前に、「大丈夫、すぐできます」と返事が来る。頼んだ側は安心し、別の仕事へ向かう。ところが使う日になって、必要な資料がそろっていなかったことや、誰にも確認していない条件が見つかる。すぐできるはずの仕事が、皆の予定を巻き込んで重くなる。
逆に、答える前にいくつか質問する人がいる。少し待ってほしい、ここは確認が要る、この条件なら間に合う。最初は歯切れが悪く聞こえても、あとになって、その返事の方が頼りになったと分かる。
「多易必多難」。第六十三章は、何でも簡単だと扱うことが、かえって難しさを増やすと指摘する。難しい顔をする人を褒めているのではない。物事に必要なだけの重みを、始める前から認められるかという話だ。
本シリーズでは、第五十五章から続いた九章の読みを、ここで一区切りにする。柔らかさや静けさを考えてきた道が、最後に、引き受ける前に一度確かめるという、ごく普通の行為へ届く。
二 仕事に、余分な仕事を持ち込まない
「為無為、事無事、味無味」。何もしないように見える言葉が三つ並ぶが、実際には、何を余計に持ち込んでいるかをよく見させる言葉だ。
二人で分担を確かめれば済む問題に、会議が増え、報告書が増える。誰が何をするかだけは、最後まで曖昧なままだ。働いている証拠はたくさんできても、仕事は進まない。「為無為」は、必要なことをしながら、している自分を目立たせるための動作まで加えないこととして読める。
「事無事」も、責任をなくすことではない。管理するためだけの用事を生まず、問題を片づける過程で別の問題を増やさない。計画や記録は役立つときには必要だが、それ自体が目的になると、人は実際の相手より書類への説明に時間を使い始める。
「味無味」は、その姿勢を日々の味わいに戻す。特別な刺激がない夕食、気の利いたことを言わなくてよい会話、何の知らせも来ない夜。薄いと思っていた時間にも、急がずにいれば感じ取れるものがある。第三十五章の淡さ、第四十八章の引き算、第五十七章の少ない干渉、第六十章の小魚が、ここで響き合う。
三 怨みに応じることと、怨みを増やすこと
「大小多少、報怨以徳」。小さいものを小さいまま見過ごさず、少ないものにも目を向ける。その注意が、人と人の怨みへも向けられる。
『論語』憲問篇にも「以徳報怨」をめぐる問いがあり、孔子は怨みには直をもって、徳には徳をもって報いると答える。公正な応答を重んじる声として比べることはできるが、孔子がこの章を直接批判したという歴史的場面まで確定できるわけではない。
本シリーズが老子の言葉から強く受け取るのは、報復だけが残る状態になる前に、こちらから敵意を足さずに済むかという問いだ。誤りを指摘しても、人格まで辱めなくてよい。断るときも、頼んできた人を無価値な人として扱わなくてよい。その一言がなくても、公正さは弱くならない。
ただし、「報」は応答や報いを表しうるので、字義の上で予防だけを意味すると限定はできない。すでに起きた傷害への対応も、ここから排除してはいけない。徳があれば怨みが届かなくなるのでもない。攻撃をしていない人にも、暴力やいじめは向けられる。
したがって、危険を止めること、責任を問うこと、離れることは、この章と矛盾しない。守りたいのは、相手の悪意によって自分の次の行為すべてが決められてしまわない余地だ。傷ついた側に笑顔を要求するための教えではない。
第五十章の身を保つ姿勢、第五十五章の赤子、第五十六章のとらわれなさ、第六十章の害し合わない関係も、この範囲で受け取る必要がある。不必要な敵意を減らす知恵であって、傷つかないための護符ではない。
四 まだ小さいから、手をつけられる
「図難乎其易也、為大乎其細也」。難しいことは、まだ扱いやすいところから考える。大きなことは、細かなところから手をつける。
小さな不具合を直すだけなら、短い時間で済むかもしれない。放置して他の機能にまで影響が及べば、修理には停止ややり直しも伴う。チームの小さな誤解も、早く話せば分担の確認で済んだものが、互いに不満をためてからでは、信頼の問題になる。
小さい問題は、目立たない。まだ動いている、まだ大騒ぎになっていない、という理由で予定から押し出される。だが、話題になるほど育つのを待つ必要はない。すでに気づいていて、今なら扱えるものには、今の大きさのうちに向き合える。
「天下之難作於易、天下之大作於細」という大きな言い方を、あらゆる災害は見落とした小さな兆しのせいだ、という法則にはしたくない。予測できない出来事も、本人には変えられない条件もある。細部を丁寧に扱っても、成功が保証されるわけではない。
それでも、本を書こうとする人は今日の一段落を、組織を作ろうとする人は今日の役割分担を、誰かに代わって完成してもらうことはできない。壮大な目標と目の前の作業をつなぐ。そのために細部を見るのであって、すべてを支配するために見るのではない。
五 大人物の役を引き受けない
「是以聖人終不為大、故能成其大」。自分を大きな存在として立てることに忙しくないからこそ、実際に大きな仕事ができる。
常に大人物でいなければならない人は、小さな質問ができない。初心者の助言を受け取りにくい。細かなやり直しは自分にふさわしくないと思ってしまう。自分の像を整えるだけで手がいっぱいになり、仕事に必要なことが残される。
「終不為大」は、大をもって自任しないこととも、初めから大事業らしい外形を追い求めないこととも読める。第三十四章の自ら大としない姿勢、第六十二章の外的な尊さにすべてを預けない姿勢が、ここでもつながる。
自分を卑下する必要はない。能力を知り、達成を喜んでもよい。ただ、新人が見落としを指摘した瞬間に、守るべきものを取り違えない。プロジェクトを守るのか、「自分が見落とすはずがない」という像を守るのか。その小さな分かれ道で、次にできる仕事が変わる。
六 慎重さを、緊張し続けることと混同しない
「夫軽諾必寡信、多易必多難」。軽い約束が傷つけるのは、自分の評判だけではない。金曜には必ず渡すと言われた人は、それを前提に自分の予定を組む。守れないと知りながら黙っていれば、相手が別の準備をする時間まで失わせる。
返事の前に確認すること、分かっている部分とまだ分からない部分を分けて伝えることは、信頼の一部だ。「ここまではできる。ただし、この条件が決まらないと残りは約束できない」。気持ちよく断言するより、実際の見通しを渡す方が親切な場合がある。
採用本文の「聖人猷難之」は、通行する「猶難之」と同じ文脈で、事を軽んじずに扱う姿勢として読む。それは、すべての小事を災難にまで膨らませることではない。完全な準備ができるまで動けないなら、慎重さの方が仕事を塞いでしまう。
必要な準備をし、途中で確かめ、違いが分かったら直す。休みや助けも、そのための条件に入る。「終於無難」は、その効き目を鮮やかに言い切る言葉だが、人生の難所が消える約束ではない。自分たちが慌てて付け足していた難しさを、少し減らすことはできる。
七 手元にある一つへ戻る
読み終えて、さらに長い改善項目を作らなくてもよい。後回しにしている小さな問題を一つ見る。本当に今は扱えないのか。それとも、目立たないから、いつも派手な用事に順番を譲っているのか。
すでに引き受けた約束も、一つ確かめる。見通しが変わったなら、まだ修正できるうちに伝える。信用とは、一度も計画を変えないことではない。相手を、事実と違う保証の中に長く置き去りにしないことでもある。
怒っているなら、解決したいことと、相手を困らせたい気持ちを分けてみる。前者には力を注げる。後者まで一緒に実行しなくても、公正を諦めたことにはならない。
今日、大きな成果がなくても、一つの話をはっきりさせ、一段落を書き、一食をゆっくり食べることはできる。普通の行為が大事件に変わるまで、注意を向けるのを待たなくてよい。
八 柔らかさから、日々の確かさへ
この九章を振り返ると、第五十五章の生命の柔らかさから、第五十六章の親疎・利害・貴賤に判断を明け渡さない姿勢へ進んだ。第五十七章は過剰な干渉を減らし、第五十八章は順調なときにも変化を忘れず、第五十九章は暮らしを支える根を養うよう促した。
第六十章では小魚を何度も返す手を止め、第六十一章では力のある側が低い位置に立ち、第六十二章ではまだ善くなれていない人にも扉を残した。そして、ここでは目の前の小さなことを軽く扱わない。
この九章のまとまりは、本シリーズが設けた読みの区切りであり、古書の作者が決めた構成だと証明されているわけではない。それでも、一つの調子が聞こえる。力は、硬さ、速さ、目立ち方だけで測れない。余地を残し、待つことができ、細かいところを見られることにも表れる。
次に「そんなの簡単です」と言いそうになったら、ひと呼吸だけ、まだ聞いていないことがないかを考える。真剣さは、声を大きくしなくても始められる。