協力の歴史を読む · 歴史を読む 04
名簿に名前が載ったあと
財産を凍結された人が理由を尋ねるとき、名簿の出所を答えるだけでは足りない。カディ事件は世界裁判所を作ったのではない。EU自身の実施措置に、基本的権利の審査を受けさせた。
名簿に名前が一つ増えると、その外の世界では、制限を受ける人が一人増える。名簿を伝える機関にとっては一度の更新かもしれない。だが、名前を記された人に起きるのは、自分の財産を使えるか、自分の理由を述べる場所があるかという変化だ。
2001年10月17日、ヤシン・アブドゥラ・カディは国連の制裁名簿に載り、その後、凍結措置を実施するEUの名簿にも載った。ビンラディンやアルカイダとの関係があるという疑いによるもので、刑事法廷で有罪とされた記録ではない。[1]
カディはのちに訴訟を起こした。この歴史で残したいのは、一人の人間がついにすべての国際機関に勝ったという物語ではない。彼の問いが、具体的な相手に届かなければならなかったことだ。あなた方がこの決定を私への制限として実施するなら、その根拠を説明できるか。そして、結果を変える権限のある場所で、それを確かめてもらえるか。
素朴な問いに聞こえても、道はまっすぐではなかった。一つの機関が名簿を作り、別の機関が規則を定め、国家の機関や金融機関が制限を実施する。関わる段階が多いほど、聞こえるのが「決めたのは私たちではない」という言葉だけになりやすい。
実施することも、自分たちの行為である
テロに関わる資金を凍結することには、真剣な理由がある。資金をすぐ移せるなら、全員の意見を先に聞き終えるのを待つあいだに、予防が効かなくなるかもしれない。一方、凍結は没収ではないが、だから暮らしに影響のない小事になるわけでもない。刑罰ではないというだけで、一人を長く制限し続ける根拠を問わなくてよいことにはならない。
2008年9月3日、欧州司法裁判所はカディともう一方の上訴人の事件について判決を下した。審査の対象としたのはEUの法秩序の中の実施行為であり、安全保障理事会決議を取り消す権限を自らに認めたわけではない。共同の決定がどこから来たかは、EU自身の措置を基本的権利の審査から免れさせる理由にならなかった。[2]
これは言葉だけの遠回りではない。安保理が制度を定め、委員会が名簿への掲載を扱い、EUが措置を自分たちの規則にする。裁判所はそのすべてを引き受けて管理したのではない。それでも、最後の段階が前の段階の権威を理由に、自分が受けるべき審査をなくしてしまうことは認めなかった。
裁判所と国連のどちらが上かという話に縮めると、制限されている人が見えなくなる。彼は国際法のすべての上下関係を先に解決しなければ、現に自分を縛る法的行為に説明を求められない、というわけではない。ここでは、問いを持ち込める裁判所と、取り消しうる行為が見つかったのである。
裁判所は、当事者が自分に対する資料を知り、有効に反論するための保障がなく、防御の権利と実効的な司法的保護が侵害されていたとした。規則のうち彼らに関わる部分を取り消したが、機関が是正する時間を残すため、その効力を最大三か月維持した。判決の日に、凍結制度全体を一度になくしたのではない。[2]
この猶予も、見直しで許される答えは一つではないことを教える。重要な任務の継続を認めながら、人への扱い方を変えるよう求めることはできる。安全上の必要を認めることは、どんな実施方法でも受け入れることではない。法に従った審査を求めることも、あらゆる制限は初めから正当化できないと決めることではない。
最初に凍結するときと、その後長く維持するときは、まったく同じ局面ではない。判決は、最初の行動に必要な不意打ちの効果をすべてなくすよう求めたわけではなかった。いつまでも先送りにできないのは、制限が始まった後に本人が理由を知り、反論し、その反論を退ける決定を審査してもらうための道である。[2]
名簿に載った人が発言するために、まず好かれ、賛成してもらう必要はない。手続が検討すべきなのは、まさに争いのある疑いだ。無実と先に認められた人しか審理を受けられないなら、最も審理の必要な問題が、いつまでも中に入れない。
理由を伝えたことは、理由を証明したことではない
2008年の判決後、欧州委員会は制裁委員会から得た理由の要約をカディに渡し、意見を受け取ったうえで、再び名前を残すと決めた。手紙が一通増えただけでは争いは終わらない。2010年、EU一般裁判所は新しい措置を取り消し、その後、機関側と英国が上訴した。[1]
2013年7月18日、欧州司法裁判所は上訴を退けた。ここには平板にしてはいけない違いがある。一般裁判所の分析をすべて受け入れたわけではないが、疑いを裏付ける資料が足りず、それを根拠にEUの制限を維持することはできないと判断した。結論が同じでも、法的な理由が一文残らず同じとは限らない。[1][3]
ここで求められた審査は、理由の中身にさらに踏み込むものだった。本人は少なくとも理由の要約を含む関連資料を受け取り、有効に意見を述べられなければならず、所管機関は真剣かつ公正に調べなければならない。訴訟では、裁判所も理由がもっともらしく聞こえるかを見るだけでは足りない。十分に確かな事実の基礎があるかを確かめる必要がある。[3]
上から届いた疑いの説明を、そのまま当事者へ送る。それはよくある仕事だが、それだけでは足りなくなった。転送は必要な一歩かもしれない。しかし、検証ではない。本人が誤りを指摘したとき、処理する側が元の文章を読み上げ直しただけで、答えたことにはできない。
証明の負担も、いつの間にか逆にしてはいけない。判決によれば、争われたときには、依拠する理由に根拠があることを該当するEUの機関が示す必要がある。裏付けに乏しい疑いに対して、本人に、そんなことは一度もしていないと証明させるのではない。反論できるということが、決して終えられない自己証明の仕事を渡されるだけであってはならない。[3]
安全と秘密保持がなくなったわけでもない。裁判所は、資料のすべてを本人に渡せない場合を認めた。そのうえで、秘密にする理由自体の審査と、実効的な司法的保護への配慮を求めている。秘密は何でも公開せよという話でも、秘密だと言えばもう調べなくてよいという話でもない。[3]
同様に、一部の理由が成立しなくても、決定の根拠がすべて失われるとは限らない。少なくとも一つの具体的で裏付けのある理由が、それだけで措置を支えられるなら、他の理由に欠陥があるだけで必ず取り消されるわけではない。審査は本当に十分な根拠を確かめるためのもので、どちらか一方に、小さな誤りを一つ見つければ自動的に勝てる仕掛けを与えるものではない。[3]
こうした限定を残すと、判決は軽快な勝利の物語にはなりにくい。その代わり、繰り返し使える道具に近づく。誰の話し方が強いかではなく、誰が何を主張し、どこまで確かめられ、誰が証明し、その結論で何を変えられるのかを問うための道具だ。
カディの人生全体に判定を下したわけでもない。このEUの制限を維持できないことは、彼が過去にしたことをすべて審理したことでも、刑事上の無罪判決でもない。一つの措置に厳格な根拠を求めるために、本人を疑いのない英雄に描く必要はないのである。
国連の名簿から、どうすれば名前を外せるのか
EUでの訴訟の外でも、国連の手続は変わっていた。2009年の決議1904はオンブズパーソン事務所を設け、独立かつ公正な立場から除名請求を支え、情報を集め、申請者と対話し、委員会に報告する役割を与えた。それまであった除名の窓口は、この名簿に関わる該当請求を扱わなくなった。それ以前には手紙を送る場所さえなかった、と書くのは正しくない。[4]
新しく加わった価値は、送った後に何が起きるかにあった。申請者の意見を聞く役割の人がおり、各側の情報を整理し、委員会の検討に入る報告を作る。本人が結論を選べることとは違う。安保理決議を取り消し、賠償を命じられる世界裁判所を別に設けたわけでもない。
2011年の決議1989は、この仕組みをさらに強めた。オンブズパーソンが除名の検討を勧告した場合、委員会が報告の検討を終えた後、原則として六十日後に関連措置が終了する。ただし、委員会が全会一致で掲載の継続を決めるか、規定に従って安保理の決定へ委ねる場合には、措置は続きうる。勧告は、ただ目を通して終わる手紙以上のものになった。それでも、裁判官の最終命令と同じではない。政治的な機関はなお手続の中にいる。[5]
カディがオンブズパーソンの手続を始めたのは2011年11月16日だった。公開記録には情報収集、対話、報告、委員会による検討などの段階が記され、2012年10月5日に委員会が除名を決めた。これは2013年の欧州司法裁判所判決より前のことである。後の判決が国連に除名を直接命じたという順序にはできない。[6]
二つの道は、互いを理解する助けになる。しかし、一つの裁判所が一度ですべてを裁いた物語にしてはいけない。EUの裁判所はEUの行為を審査し、オンブズパーソンは国連委員会の名簿の見直しを助ける。関わる事実が重なっても、権限はそれぞれにあり、他方の代わりにできない仕事もある。
改革のすべてを一件の訴訟の成果として数えることもできない。国連の公式の制度史によれば、掲載理由の要約の公表や名簿の見直しを求めた2008年の決議1822は、同年6月に採択されていた。9月のカディ判決より先である。前後して起きたという日付だけでは、一つの判決が後の改革全体を単独で生んだとは証明できない。[7]
評価したいのは、これからは一度も間違えない名簿ができたことではない。載せられた本人が、より具体的な見直しの機会を得たことだ。その入口は独立しているか、資料はどう扱われ、最後に誰が決めるのかは、なお問える。手続の改善は過去の一日一日の制限を追認せず、損失への賠償を自動的に計算するわけでもない。
イラクの篇と並べると、問題がどう変わったかがわかる。一国の貿易の大部分を制限すれば、多くの人の暮らしがともに影響を受ける。直接名指せば、圧力は特定の名前へ集中する。対象を狭くしたことだけでは、その人を対象に選んだことが正しいとは証明できない。氏名を正確に書くことと、疑いを正確に立証することは、異なる種類の正確さである。
共同の仕組みには、現実の危険を防ぐことも、危険だと指摘された人に反論を認めることも必要だ。一方だけを残す二者択一にしなくてよい。判決、資料の検証、除名手続は、この難しさに対して歴史の中で少しずつ作られた具体的な試みであり、これからの検討を免れた答えではない。
名簿から名前が消えることは、その人にとって大きな変化になりうる。さらに残しておきたいのは、そこまでに通った道だ。名簿はそれ自身の証拠ではなく、その出所が理由のすべてでもない。そして、その名前が指す人には、もう一度見てほしいと求める資格がある。
史料と読み方について
これは実際の歴史を読む随筆であり、場面の創作でも現行法の案内でもありません。史料が記録する事実、当時の法的判断、機関自身の評価、筆者の解釈を区別しています。記録にない内心や対話は補わず、複数の被害者を一人の人物に組み合わせることもしません。英語版は英語の読者に向けて独立に書かれ、簡体字・繁体字の中国語版はいずれも全文です。本篇の日本語は、現在の中国語の随筆を底本に独立に書き直しました。題材選びを助けた最初の調査報告は、以下の原資料に代わるものではありません。また、異なる組織をすべて、理論が扱う「共通の強制的な上位者を持たない協力」とみなすわけではありません。希望する方は哲学的背景の前置論文(英語・中国語)も読めます。歴史は理論を立証するための例ではなく、問いを試す相手です。
- 欧州司法裁判所:2013年7月18日付プレスリリース93/13
裁判所による経緯と結論の説明。2001年の名簿掲載、2008〜2013年の訴訟を扱います。プレスリリースには判決の拘束力はなく、法的推論については別途全文を確認しています。
- カディ及びAl Barakaat事件:2008年9月3日判決
EUR-Lex掲載の原判決、ECLI:EU:C:2008:461。第286〜288、326〜353、358〜376段落と主文を参照します。EUの行為の審査、最初の凍結との区別、財産の制限、最大三か月の効力維持を確認するもので、安保理決議の取消しではありません。
- 欧州委員会ほか対カディ:2013年7月18日判決
Statewatchが保存するEUR-Lex原判決のPDF、ECLI:EU:C:2013:518。第111〜134、151〜164段落を参照します。開示、証明の負担、証拠、秘密保持、十分な理由、上訴棄却を確認しています。結論の維持を一般裁判所の全理由への同意や刑事上の無罪とはしません。
- 安全保障理事会決議1904(2009年)
2009年12月17日。第20〜21段落と附属書IIはオンブズパーソンを設け、それまでの窓口から該当する請求を引き継ぎます。独立した見直しは、世界裁判所の設置や賠償を命じる権限の付与とは異なります。
- 安全保障理事会決議1989(2011年)
2011年6月17日。第21〜23段落と附属書IIで、勧告と決定の手続を強めました。除名の勧告は無条件の裁判所命令ではなく、全会一致での掲載継続や安保理への付託などの規則が残ります。後の権限を2009年の最初の授権へさかのぼらせません。
- 国連オンブズパーソン:第19号案件の公開記録
カディは2011年11月16日に手続を始め、委員会は2012年10月5日に除名を決めました。日付は順序を確かめるためであり、単一の因果関係を示すものではありません。2013年のEU判決が、2012年の国連決定を命じたのではありません。
- 安全保障理事会実行提要2008〜2009年、第IX部
1267委員会とオンブズパーソンの部分。2008年6月30日の決議1822は、9月の判決に先立って、理由の要約と名簿の見直しをすでに求めていました。機関の年表だけで、その後の改革がすべて一つの判決から生じたとは証明できません。