額の淡い絵具が、短い尾根のように盛り上がっている。視線を下げ、眼のくぼみに目を向けると、色はふいに冷たくなる。桃色の肌のあいだに灰緑色が残っているのだ。さらに左右へ目を移すと、髪のなかで細い線が渦を巻く。三つの部分は同じ一人の頭を描いているが、方法は同じではない。絵具を加えたところもあれば、下の色を見せたところもあり、まだ濡れていた絵具に線を引っかいたところもある。
こうした違いは、あわせて見ておきたい。顔が鮮やかな存在感をもつのは、その目がこちらを見ているからだけではない。表面をつくる手つきが、場所ごとに変わっているからでもある。

本稿では、この絵の力は、異なるいくつかの絵具の状態が合わさり、明瞭で確かな量感をもつ顔を成立させていることにあると考える。厚い部分、薄い部分、引っかいた線は、均一な肌になるまでならされてはいない。それぞれが形をとどめながら、顔、髪、襟、肩にわたって互いに働き合っている。私たちは一人の人物を認めると同時に、その人を出現させる画家の技を、繰り返し目にする。
1659年、レンブラントは53歳で、アムステルダムに暮らしていた。それまでにも長年にわたり、絵画、版画、素描で繰り返し自分の姿を表してきた。自画像は容貌の記録にもなれば、画家が世に示す自己像をつくり、先人の肖像画と対話する場にもなる。目の前の帽子、振り向いた頭、組んだ両手は、後者の手がかりから考える必要がある。私たちに直接向き合っているように見えるこの姿も、構図と伝統によって形づくられているのだ。作品研究
1 明るい部分を盛り上げ 暗い部分を残す
まず額を見よう。一面に滑らかな薄桃色が塗られているわけではない。帽子の縁に近いところでは短い筆触が横に走り、眉間へ向かうにつれて傾き、曲がりはじめる。画面右寄りの淡い筆触の一群は、小さな渦の中心を囲んで広がっている。絵具の稜線、筆触のあいだの細い隙間、肌の明暗がひしめき合う。私たちは額の骨格がつくる面の変化と、実際の絵具層の凹凸を同時に見ている。
この二種類の凹凸は、一対一で重なるわけではない。額の絵具の稜線が、どれも一本のしわを描いているとは限らない。明るい面を横切り、光を広げる働きをする痕跡もある。一方、眉間近くの濃い線のいくつかは、そこのくぼみを強めている。すべての筆跡を肌の傷みとして読めば、絵を描く動きを、その人の老いに数え入れてしまう。

鼻を見ると、この描き方がいっそうわかりやすくなる。鼻筋の細い明るさが下へ伸び、赤みのある鼻先につながる。画面右側の淡い色は、鼻孔のまわりの濃い褐色とぴったり接し、急に鼻の量感を前へ押し出す。鼻先は、丸みを示すために完全な輪郭線を必要としない。いくつかの色のかたまりがここで向きを変え、互いに接して押し合うだけで、目は突出した形を読み取る。
頬では移り変わりが違う。画面右側の頬では、桃色の短い筆触が斜め下へ走り、もみあげに近づくと冷たい灰色が交じる。下顎へ向かうにつれ、明るい肌色は少しずつ褐色や襟へとつながっていく。鼻先のように急に前へ出るのではなく、面の向きが長い距離をかけて変わっている。同じ顔のなかに、急な突出と、ゆっくり奥へ退く面がある。筆の方向と、色が急に接するか徐々に移るかの違いが、これらの距離を描き分けている。
館の技法調査によれば、顔の明るい部分は、絵具をたっぷり含ませた短い筆触で描きはじめられている。いくつかの筆触は濡れた絵具のなかで渦を巻くように交じり合うが、完全には混ぜ合わされていない。乾燥後には、独立した暗い短い筆触が加えられた。また、目のまわりの灰緑色には、その下にあらかじめ置かれた準備層の色が生かされている。ここでの厚さと薄さの違いには、物質的な根拠がある。写真だけから推測しているのではない。技法概要と研究本文
だからこそ、眼のくぼみがとりわけ面白い。画家は絵具をさらに加えて暗部を埋めることもできるが、先に置いた色に働き続けてもらうこともできる。厚く塗られた額と頬のあいだで、その冷たい色は一歩奥へ退くように見える。そこから二つの目が、それぞれ違う現れ方をする。画面左の目はより深く埋まり、右の目では下まぶたがより明るい。視線の集中には、この左右で等しくない明暗も関わっている。
口元では、こうした動きが引き締まる。上唇と口角がひと続きの暗い部分をつくり、その下に淡い下唇、さらにその下に小さな、まだらな顎が続く。眉、鼻、口は、細い線できちんと囲まれてはいない。それでも、それぞれの位置は十分にはっきりしている。画家は変化に富む表面を残しながら、目鼻立ちには確かな組み立てを与えている。その両方が同時にあるからこそ、この顔はしっかりしていながら、こわばらない。
2 一本の髪は 絵具を引っかいて描ける
画面右側、帽子の縁の下にある白髪には、二つの大きさがある。まず大きな灰色のかたまりが、髪のふくらんだ量感を見せる。その内側や縁では、黄褐色の細い線が不規則な輪をつくり、巻き毛になっている。並んで下へ進む線もあれば、ふいに折り返す線もある。何本かは暗いところまで伸び、ほどけた細いばねのように見える。

技法調査では、髪に、筆の柄の末端で濡れた絵具を引っかいた線が確認されている。細い筆で描いた部分もある。つまり、「一本の髪を描く」ことは、必ずしも色のついた筆触をもう一本加えることではない。すでに置いた絵具を押しのけたり、引っかいて開いたりすることでも、線は現れる。技法概要
こうした線は、額の厚い筆触と鮮やかな違いを見せる。額の明るい面には、一筆ずつ積み上げられた絵具の密なまとまりがある。一方、巻き毛は身軽で、ゆるやかだ。とりわけ耳の上では線が交差し、そのすぐそばには、一本ずつの毛に分けられていない広い灰色の面が残されている。それで髪には、ふんわりした全体の量感と、線をたどっていける数本の巻き毛の両方が生まれる。画家はすべての毛を一本ずつ描き示す必要がない。
さらに上の帽子を見よう。幅が広く暗い帽子の外形は、全体としてなだらかにつながり、縁のほんの一部にだけ、暖かく光る飾りがある。額はその下縁に接し、白髪は両側から広がる。この大きな暗色の形は、構図のなかで具体的な仕事をしている。細かな髪の動きと活発な肌色に、安定した隣人を与えているのだ。これをひとまとめに「レンブラントの明暗法」と呼ぶだけでは、大小、密と疎、線の性質の違いがどう働き合うかを見落としてしまう。
帽子そのものも描き直されている。館の記録は、現在の暗色の下にもっと明るい絵具があることを指摘し、当初は明るい帽子が構想されていたと説明する。ただし、描き直しを知ることは、そのとき画家が考えていた理由のすべてを知ることではない。目の前の画面からいえるのは、現在の暗い帽子が頭の上部をひとつの大きな形にまとめ、その下にある小さく明るい変化を集中させているということだ。
3 この顔には この肩が必要である
この絵は高さ84.5センチの半身像である。一つの顔だけを記憶に残すなら、構図の大きな部分を失うことになる。顔は画面上方のやや右寄りにあり、画面右側の肩が描く広い弧は、その側を大きく占める。両手は左下で、顔からずいぶん離れている。この二つの肌色のあいだに、明るい道がまっすぐ通じているわけではない。視線は、広い褐色の衣服を通り抜けなければならない。
襟は顎のそばで折れ曲がり、画面右上へ立ち上がって肩につながる。細く明るい縁は継ぎ目のように、顔の細やかな変化を、体のより大きな形へ接続している。肩の光は幅が広く、弱い。その下の袖は、広い範囲が暗くなる。これらの部分が頭の収まる場所をつくり、体に厚みを与えながら、目鼻立ちから注意を奪わずにいる。

手は大づかみに描かれている。手の甲、指の重なるところ、袖口の位置はわかるが、顔と同じように、赤、灰色、桃色がかった白の豊かな変化を一つずつたどることは難しい。組んだ両手は下方の形をまとめ、顔は上方で開いていく。この配分が半身像に明確な重心を与える。下で安定させ、上で集中させるのである。ここでは細部が少ないこと自体が働いており、単に未完成とみなすことはできない。
もう一つ、目立たない働きがある。手は筆もパレットも持っていない。画家という身分は、職業を示す小道具によってすぐに説明されるわけではない。私たちは、一人の男性がどのように座り、どのように頭を向けているかを見るとともに、その見せ方がどのような肖像画と通じ合うのかを見ている。
ナショナル・ギャラリー・オブ・アートのカタログは、この絵をラファエロの《バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像》と結びつけている。レンブラントは1639年にアムステルダムでその作品を見て、素描を残した。組んだ両手、斜めに向けた体、鑑賞者に向けた頭、帽子で頭部を囲む構成は、比較の具体的な根拠となる。カタログはこの関係をもとに、学識ある画家としての自己像を論じている。カタログの比較と図版
このつながりを知ると、目の前の簡素さは単純ではなくなる。ゆったりした衣服、限られた色数、小道具のない姿勢は、美術の歴史を排除していない。伝統は、振り向いた肩の角度や、両手を組んだ位置に潜んでいることもある。レンブラントはこの重みのある構成を借りながら、より強い明暗の対照と、筆の痕跡をはっきり残す絵具の扱いによって、自分自身の像へと変えている。肖像の威厳は、体の組み立てと、それをつくる技量の両方から生まれる。
4 画面の陰影も 時間を経てきた
ここまで見てから生涯に触れたほうが、話は正確になる。レンブラントは経済的危機ののち、家と多くの財産を失った。この絵は、それらの競売が行われたあとに描かれている。この事実は、私たちを既製の物語へ簡単に導く。失意の画家が暗い顔で自分の一生を語った、という物語だ。しかし、今日見える色には、もう一つの歴史も含まれている。完成後、この絵そのものに何が起きたのかという歴史である。
1992年の処置で、変色したワニスと、後世に塗り重ねられた絵具の一部が取り除かれた。館の研究は、古いワニスが画面の陰鬱な印象を強めていたと明記している。洗浄後には、顔の桃色やほかの肌色が識別しやすくなり、胴体の立体感もより明瞭になった。かつて人生の悲劇の直接的な表れとされた効果の一部は、後の時代に材料が変化したことにも由来していたのである。修復と解釈の歴史
だからといって、「悲しみ」を「喜び」に置き換える必要はない。もっと有益なのは、色がどう働くかを具体的に見ることだ。鼻先の赤は眼のくぼみより暖かく、額の淡い色は帽子より明るい。顎には襟の縁に沿って、わずかな光がふたたび現れる。それらが顔に面の起伏、色の温度差、色彩の動きを与えている。陰気だという全体的な印象だけを残せば、すでに見分けられるこうした違いを押しつぶしてしまう。
同時に、今日の画面が無傷で1659年の状態に戻ったわけでもない。技法概要には、衣服の身頃と画面左側の背景の摩耗が記録され、以前の修復による暗色の絵具や塗膜の一部が、なお残っていることも説明されている。したがって、背景にある黒ずみ、まだら、曖昧な部分を一つ残らず、画家の周到な配置として称えるべきではない。帽子、顔、肩の大きな関係を観察することと、個々の箇所の保存状態を慎重に扱うことは両立する。
私には、修復史から得られる最も大切な示唆こそ、この自画像をいっそう丹念に見る価値のあるものにしていると思える。「レンブラントを直接見る」という経験は、実際には画家の構成、材料の変化、後世の処置を経ている。それらを見分けても、目の前の鮮明な存在感は弱まらない。むしろ具体的になる。額の厚い絵具、眼のくぼみの冷たい色、巻き毛をつくる引っかき線、幅広い肩が、画面に一人の人物を現す仕事をともに担っている。そのどれ一つを取っても、あらかじめ用意された悲劇より、この絵がどのように成立しているかをよく説明してくれる。
補読 SAEから見る 制作が残した時間
以下ではSAE(Self-as-an-End)を手がかりに、現代の鑑賞をめぐる問いを立てる。これによって画家の理論的意図や、描かれた人物の内面を推定するものではない。
洗浄は、目に見える色を変えた。洗浄について知ることは、どの色を誰に、どの時点に帰属させるかを変える。前者は絵に起きた変化であり、後者は、この実物を理解する私たちのあり方に起きる変化である。SAE美学総論の「文脈の内在性」は、背景となる文脈も美の構成に関わると主張する。この考えを手がかりに本作を見ると、次のように問うことができる。顔の明暗を美しいと感じるとき、その対象には、いま識別できる材料の層や制作の歴史も含まれているのだろうか。SAE美学総論 第3節
眼のくぼみの灰緑色は、具体的な足がかりとなる。そこに準備層の色が使われていると知ると、理解できる関係が一つ増える。先に置かれた色が、後から加えた明るい色に囲まれ、完成作のなかでも陰影の役割を果たし続けているのだ。それは目を奥へ退かせるとともに、「下の層を残すこと」を、顔を形づくる積極的な方法にしている。知識によって、私たちが目を向けられる描き方が一つ増えたのである。
図3に見える、渦を巻く細い線を何本か、ゆっくり目でたどってみてもよい。線がどう曲がり、交差し、灰色の髪のかたまりへ入るのかを確かめる。次に、館の調査で確認された、濡れた絵具層に線を引っかく技法を踏まえて問う。当時、表面の絵具がすでに乾いて硬くなっていたなら、同じように線を引っかいて、この種の痕跡が生じただろうか。問いは、目に見える線から、研究に裏づけられた一つの操作へと移る。ここでSAEの因果という観点は、その形が、動作の起きた時点での材料の状態にどう依存しているかを問う助けになる。因果の美
額には、また別の関係がある。厚い筆触は濡れた状態で接し、後の暗色はすでに乾いた層の上に置かれた。その前後の時間が、いま一つの表面に同時に現れている。眼のくぼみや髪と見比べると、過去の仕事を働かせ続ける方法がいくつも見えてくる。残すこと、重ねること、引っかいて開くこと。それらは制作の記録をとどめるだけでなく、それぞれが、いま見える顔の明暗と形にも加わっている。一本の巻き毛は、描かれた頭に属すると同時に、実際につくられた絵にも属している。二つの見方が、同じ一本の線の上でつながる。
画像と資料について
視覚的な記述は、ナショナル・ギャラリー・オブ・アートが提供する3202 × 4096ピクセルの画像と、三つの細部画像に基づく。全図はダウンロードしたファイルを変更せずに使用した。細部画像は、切り出した画素をPNGで可逆圧縮保存し、元のICCカラープロファイルも保持している。色調補正、シャープ化、修復、生成による内容の追加は行っていない。ただし、画面の発色や拡大率は鑑賞に影響する。
画像には、館のCC0オープンアクセスポリシーが適用される。本稿の細読と現代理論を用いた試論は独自の文章であり、制作・修復についての事実は、リンク先の館の研究に基づく。画像のオープンライセンスは、研究本文のオープンライセンスを意味しない。文中のラファエロ作品については研究へのリンクのみを示し、比較用の写真はこの一式に収録していない。参考資料と画像クレジットも参照されたい。