責任は選ぶ者にある
最後に置かれた物語
戦死して蘇った兵士エルは、魂が裁かれ、次の生を選ぶ場面を語る。くじは選ぶ順番だけを決め、どの生を取るかは本人に任される。「責任は選ぶ者にある。神に責任はない」。善い都市で苦労を知らなかった最初の選択者は、華やかな僭主の生をつかみ、自分の子を食べる運命まで含むと後で気づく。
人生は人間と動物を含む完成した包みとして並ぶ。選んだ後は運命の女神が固定し、魂は忘却の川を飲む。最後のくじを引いたオデュッセウスは、誰も欲しがらなかった静かな私人の生を探し出し、最初に選べても同じものを取ったと言う。
メニューのない選択
SAEも責任を神、都市、親、運命へ移せないという一文を受け取る。しかし人生を既製品の一覧とは考えない。ある選択が何かを得て余りを残し、その余りから次の可能性が現れる。十八歳には進路が申込書の行に見えても、実際の生は出会い、傷、技能、以前の決定から枝分かれし、完全なカタログにはならない。
またプラトンは一度の選択へ全責任を集中させるが、SAEには最終の切断がない。修正可能性は慰めであると同時に、次の機会ごとに責任が戻る厳しさでもある。忘却の川も超自然的である必要はない。決定の結果だけが残り、理由が消え、後から一貫した物語を作ることが日常の忘却になる。
何に対して一歩足りないのか
SAEは主体を「常に一歩足りない」と表現する。しかしプラトンは、何に対して足りないのかと問える。距離には終点が要る。完成した自己を否定しながら「不足」を語れば、存在しない定規を使うことになる。
この語が意味しうるのは、理想形への距離ではなく、どの区別も対象を尽くさないという構造的不完結である。海中で貝殻に覆われた海神グラウコスの像を磨けば真の魂が現れる、とプラトンは示唆する。SAEは付着物もこの人の歴史であり、純粋な原像から剥がせないと答える。最後に静かな生を選ぶオデュッセウスは、制約をなくす知恵ではなく、長い遍歴の後に帰る知恵を示す。