権力はどこから生まれるか
出発点は相互の主体承認
権力は、一方だけが意志を持つ場所には生まれない。双方が相手を選択し、苦痛を感じ、応答できる主体として認識したうえで、ある次元に位置差があるときに成立する。強者は弱者が恐れ、従い、逃げ、抵抗しうることを知り、弱者も強者が意図と選択を持つことを知っている。この相互認識がなければ、残るのは物体への作用である。
位置差とは、単なる所有量の違いではない。一方が他方の行為可能性を変えられるのに、同じ仕方では返されない関係を指す。保護する者と守られる者、教える者と学ぶ者、資源を配分する者と待つ者のあいだに、この非対称が現れる。
権力を支える三つの層
最初の層は保護と応答である。危険から守り、協働を組織できる者に、人々は服従、貢献、裁量の委託で応える。しかし保護者も応答する人々に依存する。応答がなければ能力は個人の力にとどまり、共同体の権力にはならない。
第二の層は物語である。王は天に選ばれた、議会の決定は人民を代表する、専門家はよりよく知る、といった共有物語が命令に意味を与える。第三の層は真の承認だ。学生が教師の知性を、同僚が判断力を、自分の経験から認めるとき、権力はほとんど強制なしに動く。ただし承認は命令できず、いつでも撤回されうる。
最もよく働く権力が自分を薄くする
三層はいずれも不安定性を抱える。保護能力は衰え、物語は疑われ、承認は相手の成長によって位置差を縮める。優れた教師が学生を育てれば、その学生はやがて教師の権威を必要としなくなる。最も精錬された権力には、成功によって自らを解消する種がある。
三層は別々に存在するのではない。危機の時には保護が物語を現実らしく見せ、物語は応答を組織し、その結果が信頼を育てる。逆に保護に失敗すれば物語が空洞化し、承認が退けば命令は強制へ傾く。権力の強弱は資源の量だけでなく、この循環がまだ続いているかで測られる。
そして権力は権利要求を生む。上から行為空間を形づくる力に対し、下に置かれた主体は「私も目的であり、どこまで従うべきか」と問い返す。権利は外部から権力に付け加わるのではない。主体を相手にする権力が、その内部から育てる自己否定なのである。