Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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SAE 方法論
第 I 篇 / 12

鑿構循環――導出・方法・応用・AIインターフェース

Han Qin (秦汉)

SAEの理論を最短の形に圧縮すると、世界観ではなく一つの運動になる。現在の理解を否定し、その沈殿を仮の構として受け取り、そこからこぼれた余項に次の一刀を置く。この鑿構循環は、答えを所有する技法ではなく、答えが閉じる瞬間を見逃さないための論理的な作業系である。

1. 一刀に含まれる五つの面

「これはあれではない」。最初の一刀は無差別を切り、同一律 A=A を沈殿させる。この単純な出来事には五つの面がある。

  • ――現在の構に働く否定。
  • ――否定のあとに残る一時的な秩序。
  • 余項――その秩序が吸収できなかったもの。
  • ――余項が次の否定に着地点を与える関係、および実際に一刀が入る出来事。
  • 物自体――否定が否定できないものに当たる状態。

橋の関係と橋の出来事は区別しなければならない。余項があることは、次の一刀が可能だというだけで、必ず起こることを意味しない。余項は着地点を提供するが、出来事を発生させない。

2. DとDD、二つの粒度

1Dから4DまではDとDDが一致する。分岐後はDが学問領域を見渡す粗い粒度、DDが一刀ごとの細かい粒度になる。

DDD内容
5D5DD–6DD複製/自己維持
6D7DD–8DD分化/生殖
7D9DD–10DD選択/知覚
8D11DD–12DD記憶/予測
9D13DD–14DD自己意識/意味
10D15DD–16DD他者承認/相互非疑

哲学史や学問境界との対応にはDが便利であり、記憶と予測、自己意識と意味を分けて論じるにはDDが必要になる。両者は競合する座標ではなく、同じ列を見る倍率の違いである。

3. 1DDから16DDへ

1DDの同一律から2DDの矛盾律、3DDの間隔と時間方向、4DDの因果律へ進む。3DDでは時間の矢が分岐し、本シリーズは巨視的なエントロピー増大側を展開する。微視的な反対側は否定しないが、現在の道具では扱わない。

4DD以後、因果の余項から分子的ランダムネスが現れ、5DDの複製、6DDの自己維持、7DDの分化、8DDの生殖へ進む。さらに9DDの選択、10DDの知覚、11DDの記憶、12DDの予測が、生命から認知への橋をつくる。12DDの内部モデルは世界を予測できるが、「誰が予測しているのか」という余項を残す。

13DDで否定が自分へ折り返し、「私が作動している」が生まれる。14DDでは行為が理由と目的を持ち、15DDでは他者も目的それ自体だと一方向に承認される。16DDでは二つの主体が互いを目的として認め、互いに鑿りながら互いを疑わない。相互非疑は融和ではない。相手の成長を本気で受け取るからこそ、鑿らずにはいられない関係である。

4. 実践の六段階

  1. 現在の構を明示する。「私はXだと考えている」。
  2. Xを否定する。何を覆っていないか、前提は何かを問う。
  3. 余項を追う。次の方向は好みではなく、こぼれたものから読む。
  4. XをX′へ修正する。
  5. X′も不完備だと明示する。
  6. 再び否定へ戻る。

止まるべき信号は二つある。否定が別の否定主体に当たったときは16DDの相互関係へ移る。問いが自分の問い方そのものへ戻ったときは、本層の道具で本層の基盤を説明しようとしている。そこでは無理に掘らず、一つ上の層から見直す。

5. 植民を検出する

植民とは、条件つきの構が無条件の律を装うことだ。経験的傾向を普遍法則として語る、特定制度を唯一解とする、上位の創発を下位機構へ還元する、二重否定の絶対命令を禁止と理想へ分割する――いずれも同じ誤りである。診断には二問でよい。「これは律か構か」「本人はどちらだと主張しているか」。構が律を名乗れば植民が始まっている。

他者に対しては鑿と涵育を分ける。他者の構が植民しているなら鑿る。すでに壁に当たっているなら、条件を整えて自ら余項を見つけられるよう涵育する。判断できないときは涵育を既定値にする。相互非疑が成立する希少な関係では、鑿そのものが涵育になる。

6. AIは構のライブラリであって、鑿の源ではない

AIは膨大な既成の構を高速に再編できる。前提の列挙、反例候補、論証の整形、既存文献との接続には強い。しかし、どの痛点を本気で引き受け、どの方向へ次の一刀を入れるかは、人間の主体に残る。AIは地図を持てても、道を間違えたときに痛まない。

したがってAIへの指示は、完成回答を求めるより、現在の構、覆えていない部分、反証条件、植民の可能性、次に残る余項を順に出させる方がよい。それでもAIの「鑿」はシミュレーションである。橋は複製できず、主体によって経験される。最終原則は単純だ。利用者が鑿の源であり、AIは構のライブラリである。