不満を言うアルファ
バーナード・マルクスはアルファ・プラスなのに小柄で、瓶の代用血液へ誤ってアルコールが混じったという噂を立てられる。下位階級は命令をためらい、同階級の男は笑い、女性からも人気がない。彼は社会の浅薄さを批判し、「自分自身」でありたいと語る。最初は目覚めた反逆者に見える。
だが彼の痛みには明確な座標がある。制度そのものより、制度内で自分にふさわしい評価が与えられないことに傷ついている。排除は正常とされる圧力を見せるので、動機が混じっていても観察は無効にならない。問題は、個人的屈辱から、順位が変わっても残る原則へ進めるかである。
順位が変わると異議も消える
保留地からジョンを連れ帰ると、バーナードは一夜で名士になる。招待状、上層人物の電話、女性からの関心が集まり、彼は社交歴と成功を誇る。以前の自由論はほとんど消え、上司への手紙まで尊大になる。制度が自分を承認したとき、承認の尺度自体を問わなくなる。
ジョンが宴会への出席を拒み、人気が崩れると、彼はまた社会を恨む。島への追放を告げられた場面では泣き、責任を友人へ移し、残してほしいと懇願する。外へ出たいのではなく、中でよい位置がほしかった。その弱さを嘲るだけでは足りないが、被害を受けたことと制度を越える価値を持ったことを区別する必要がある。
能力が余っている男
ヘルムホルツ・ワトソンは逆方向に不適合である。体格、知性、仕事、性的魅力のどれも優れ、感情工学の標語や触感映画の台本を完璧に書ける。にもかかわらず、その完璧さを浪費と感じる。自分にはもっと強い言葉を書く力があるのに、何へ向ければよいかわからない。
バーナードの欠如は、地位や注目という制度内の通貨で補償できる。ヘルムホルツの過剰は、すでにすべてを持っているため吸収できない。彼の欲望にはまだ名前がなく、役職も市場もない。名前がないことは未熟さでもあるが、世界国家が準備した答えから来ていない可能性も示す。
シェイクスピアを半分だけ聞く
ジョンがシェイクスピアを読むと、ヘルムホルツは言葉の強度に衝撃を受ける。標語が反射を作る以上の働きを、初めて聞き取る。ところが『ロミオとジュリエット』で父が娘の結婚を強制する場面には、笑いが止まらない。父、貞節、結婚が猥雑な旧概念になった社会では、悲劇の条件を身体で理解できないからだ。
彼は旧世界をそのまま回復する英雄ではない。形式の力は感じても、内容の一部を受け取る器官を条件づけによって失っている。この限界が人物を現実的にする。別の声との出会いは、瞬時に洗脳を解く魔法ではない。それでも、自分の語彙では理解できない強度があると認めることが、比較の最初の一歩になる。
悪天候の島を選ぶ
追放を告げられたヘルムホルツは、島の気候を尋ね、嵐の多いフォークランド諸島を選びたいと言う。悪い天気のほうが書く仕事に向くかもしれないからだ。処分そのものは統治者ムスタファ・モンドの制度内にある。それでも彼は、与えられた結末の中で、自分の用途からはみ出す能力に関わる条件を選ぶ。
自由を万能な脱出と考えれば、この選択は小さい。島も世界国家の圧力弁であり、異端を社会から遠ざける。しかし、報酬や安全より、まだ書かれていない仕事に適した困難を選ぶ点で、彼はバーナードと分かれる。拒否だけでなく、何のために困難を引き受けるかが現れている。
島という寛容の限界
モンドは異端者を処刑せず、互いに興味深い人々がいる島へ送る。残虐さよりはるかに人道的で、創造的少数者の生存を許す。だがこの寛容は、多数者の生活を変える要求を持たない限りで成立する。違いは保存されるが、共通世界へ戻って制度を批判する回路は切られる。
小説もヘルムホルツを火種に仕立てない。彼は島へ行き、物語の中心から去る。その冷たさは、優れた個人だけの避難所が大多数の条件づけを正当化しないことを示す。異端を生かすことと、異端が公共の形を変える資格を認めることは別だ。世界国家は前者を与え、後者を与えない。