NON DUBITO · 映画を読む
『ショーシャンクの空に』を読む
ブルックスの死、アンディの使い道、レッドの仮釈放。この三つから、制度が人を役割そのものに変えていく過程と、その使い道に収まらない人間が再び姿を現す瞬間を読み直す。
『ショーシャンクの空に』は、希望が監禁に打ち勝つ物語として記憶されることが多い。最も有名なのも、汚水管を這い抜けたアンディが雨の中で両腕を広げる場面だ。しかし映画のもっと難しい問いは、別の場所から始まる。世界の中で確かな居場所は、誰かに使われるところにしかない。そう信じるまでに一つの制度に慣らされた人には、高い塀を出たあと、何が残るのだろう。
三篇は、図書係という持ち場を失うと生きられなくなったブルックスから、専門能力を対価に条件付きの安全を得るアンディへ、そして具体的な約束に導かれて空白の日々から歩み出すレッドへと進む。自由とは、塀がなくなることだけではない。持ち場や記録ファイルや合格する答えの外で、使い道だけでは言い尽くせない人間に、もう一度なることでもある。
I 刑務所の外で死んだ老人
ブルックスは、ただ「自由に適応できなかった」のではない。制度に50年使われたあと、持ち場の外には、もう自分を置くところがなくなっていた。
II 彼が守られたのは、役に立ったからだ
アンディへの特別扱いは、権力の働きから外れた例外ではない。制度が高価な資産を発見し、それに対して支払った、条件付きの見返りだ。
III レッドが演じるのをやめた日
最後の審査は、官僚的な手続きが誠実さに報いる証明ではない。ファイルが求める答えに自分を仕立てることを、レッドがやめた瞬間を映している。
本シリーズの対象は、フランク・ダラボン監督の1994年の映画である。台詞の日本語は、原文に即した独自の表現であり、公式字幕の引用ではない。