NON DUBITO · 映画を読む · 3 / 3
あれは敬意の表明ではない。署名の撤回だ
この篇の目次
本版について:中国語原作の内容に基づき、日本語の文章として独立して書き直したもの。原作ページでは簡体字と繁体字を切り替えて読める。本稿は映画全編の結末に触れる。作中の台詞は本版独自の訳であり、公式字幕からの引用ではない。
調査はどう始まったか
ニールの死後、ウェルトンがまず向き合わなければならないのは、学校の外だ。保護者から電話が来る。新聞に書かれるかもしれない。寄付者は説明を求めるし、翌年の入学者募集にも申し開きが必要になる。ノーランは講堂で宣言する。この件について、学校は徹底した調査を行う、と。
彼の使う言葉に注意したい。調べるのは責任であって、理解しようとしているのは原因ではない。似て聞こえるが、実際にすることはまるで違う。一方は何が起きたかを明らかにすること、もう一方は誰にその責任を負わせるかを決めることだ。
何が起きたかを明らかにしようとすれば、多くの人がかかわってくる。息子の言葉に耳を貸さない父親。少年をアイビー・リーグへ送り込む流れ作業の仕組み。壁に掲げられたあの四つの言葉。どれ一つ、処分して終わりにできるものではない。
誰に責任を負わせるかを決めるなら、ずっと簡単だ。この一年で校舎に新しく加わったものは一つだけ。新任の英語教師だ。雇われている身で、いつでも解雇できる。寄付者とのつながりも、どの保護者とのつながりもない。
学校が欲しかったのは、ニールがなぜ死んだかという答えではない。一件落着にできる書類だ。そして机に立つというあの行動は、抒情ではない。署名した者たちの目の前で、その署名を撤回することなのだ。
求められた答えは、どんな形をしていたか
一件落着にできる書類とは、どんなものか。結果から逆にたどればわかる。学校側が最後に出した結論は、それ自体が仕様書になっている。使いものになる書類はこういう形でなければならない、と示しているのだ。
調査が終わって学校の出した結論は、今学期に起きたすべてのことについて、キーティングが全責任を負う、というものだった。ここで重要な言葉は二つある。一つは「全責任」。もう一つは、省略されている「他の者には責任がない」だ。
この結論を成立させるには、まとまった数の署名が要る。真相を明らかにするためではない。真相とされるものは、署名の前にもう決まっている。署名は、その書類を有効なものにするために使われる。
生徒の署名があれば、校長の一方的な言い分ではなくなる。当事者の証言を伴った調査結果となり、保護者にも、理事会にも、電話をかけてきた人にも見せられる。
だから、この調査が初めから探していたのは、答えではなく証人だ。ノーランがキーティングの名を口にした瞬間、答えはもう書き上がっている。残る仕事はすべて、手続きをそろえ、その答えを人前に出せる体裁に整えることだ。
一件落着にできる書類に必要なのは、原因ではない。処分できる人間一人と、提示できる署名の束だ。両方がそろえば、処理は済む。来年の入学者募集の頃には、もう誰も持ち出さない。
一人ずつ、別々に呼び入れる
この調査を動かす技術の核心は、何を尋ねたかではなく、どういう形で尋ねたかにある。同じ問いでも、尋ね方の形式を変えれば、返る答えはまったく違う。そしてその形式を決めるのは、尋ねる側だ。
会議ではない。ノーランは少年たちを一つの部屋に集めて、顔を合わせながら事情を話させたりはしない。相談もさせない。一人ずつ校長室へ呼び入れ、ドアを閉める。それぞれの親が傍らに座っている。
この配置がもたらす効果は、はっきりしている。部屋にいる十六、七歳の人間は一人きり。正面に校長、横には自分の親。先に入った者が何を言ったかも、後から入る者が何を言うかもわからない。自分が署名しなければ、拒んだのは自分一人になるのかどうかもわからない。
最初に口を開いたのはキャメロンだ。先に事情を話し、出てきた後も、他の者に同じように話すことを勧める。後の数人が呼ばれたときには、書類にもう名前が並んでいる。問題は、話すかどうかから、一人だけ取り残されるかどうかに変わっている。
別々に尋ねる。これが、この手続きの最も重要な技術上の細部だ。誰かを脅す必要さえない。一人ひとりに、他の者が何をしているか見えなくすればいい。
キャメロンの理屈
キャメロンはふつう、密告者として読まれる。臆病で利己的な人物だ、と。この読み方は手軽すぎるし、この場面の本当の難しさを取り逃がす。厄介なのは裏切り者が出たことではない。彼の手元にある理屈が、完結していることだ。
彼の言い分はこうだ。いずれは調べがつく。見つかるくらいなら、自分から協力するほうがいい。キーティングは教師で、僕らをあおったのはあの人だ。もともと責任は彼にある。黙っていれば、最後に困るのは自分たちだ。学校にいられなくなり、将来も失う。互いを助けることもできない。
どの言葉にも筋が通っている。確かに、いずれ調べはつく。洞窟も、会も、あの名簿もある。隠し通せない。彼らを教卓に上がらせ、教科書を破らせたのも、確かにキーティングだ。
協力しなければ退学になる可能性も、確かにある。そのすぐ後に、実例まで現れる。キャメロンの理屈は一通りそろっていて、親を説得するためにも、自分を納得させるためにも使える。
もっと重要なのは、その理屈の出どころだ。伝統、名誉、規律、卓越。キャメロンは、この四つの言葉から教わったとおりに行動している。制度に従い、自分の居場所を守り、将来を最優先にする。彼はこの教えの裏切り者ではない。最もよく学んだ生徒なのだ。
この場面では、誰一人決まりを破っていない。それなのに、一人の人間に死の原因を押しつける書類が作り上げられる。
チャーリーは署名しなかった
廊下でキャメロンの言い分を聞き終えると、チャーリーはその顔を殴り、床に倒す。周りが引き離そうとしても止められない。この一発で何も解決しないことは、本人にも、周りの者にもわかっている。
校長室へ呼ばれた後も、彼は署名しなかった。ノーランは機会を与えた。他の者の名を言え、協力しろ、お前自身のためだ、と。それでも拒んだ。結果は放校。ウェルトンの歴史で、退学処分を受けた最初の生徒になった。
代償は、はっきり書かなければならない。行動の格好よさだけを書いて済ませてはいけない。退学は学籍の喪失であり、大学出願がすべて水の泡になることであり、家に帰って父親と向き合うことであり、別の場所から人生をやり直すことだ。この件のために、彼はすべてを差し出した。
署名しなかった者がいて、その代価は自分で払った。この事実が、「僕たちはみんな無理やりやらされた」という言葉を、それだけでは足りないものにする。その言葉はなお真実だ。ただし、それだけが唯一の可能性ではなくなる。
チャーリーが去った日、映画は誰かとの別れを映さない。涙を誘うショットも与えない。彼の去り方は、それまでの多くの行動と同じだ。きっぱりしていて、妥協の余地を残さない。この人物は、その後二度と画面に現れない。
トッドは署名した
トッドは、最後のほうに呼ばれた数人の一人だ。順番が来たときには、先に入った者たちの名前がもう紙にある。書類はほとんど完成しており、足りないのは最後の数筆だけだ。彼は署名した。
この場面を公平に書くには、まず部屋の状況を示さなければならない。彼は十六歳だ。両親が横に座り、ずっと彼を見ている。彼に代わって何か言ってくれることは、一度もない。
兄はウェルトンを優秀な成績で卒業した。その事実は、新学期の初日から彼に重くのしかかっている。贈られる文房具のセットまで同じだ。しかも彼は、沈黙の中から引き出してくれた、たった一人の友人を失ったばかりだった。
彼は泣いた。震える手で紙に自分の名前を書き、書き終えるとペンを置いた。顔は上げなかった。自分を弁護もしない。キャメロンのように、この行動を支える理屈を用意することもしない。
ここが、この一篇の後半の鍵になる。署名に記録されるのは、彼が何を信じたかではない。署名したという事実だけだ。紙に残るのは筆跡であって、判断ではない。
書面上は、生徒たちがキーティングに全責任があると証言したことになっている。実際に起きたのは、十六歳の少年が親の目の前で、求められるままに自分の名を書いたことだ。
紙の上では、この二つはまったく同じ姿をしている。筆跡も同じ人間のものだ。だが、同じ出来事ではない。その違いを書き込む欄は、この校長室のどこにもない。記録しようと思っている者もいない。
最後の授業と、あの一言
調査が終わり、結論が出て、キーティングは解雇される。すぐには後任が見つからず、ノーランが自らこのクラスの英語を受け持つ。生徒たちがかつて順番に上がった、あの教壇に立つ。
彼は教科書を開かせ、プリチャードが詩の採点法を説明した序文を読ませようとする。ところが、開いてみると、そのページがない。キーティングが破らせたページだ。ノーランは事情を尋ね、自分の本を生徒に渡して、一文ずつ読み進めさせる。
そこへキーティングがドアを開けて入ってくる。教室の後ろに残した私物を取りに来たのだ。誰も口をきかない。生徒はうつむき、ノーランは早くするよう促す。キーティングは戸棚からいくつかのものを取り出して胸に抱え、出ていこうとする。
トッドが立ち上がる。最初に口にしたのは「キャプテン」ではない。「先生、無理やり署名させられたんです。信じてください」。ノーランが教室の前から座れと怒鳴る。トッドは座らず、逆に机によじ登る。
机に立つ前に、まず叫んだのは、あの言葉だ。この行動は漠然とした敬意の表明ではない。特定の一通の書類を、その書類を手にした当人の前で撤回することなのだ。
立たなかった者もいる
トッドが机に立つと、後に続く者が一人、また一人と出てくる。最初は一人、やがて三、四人。そのうち教室の半分が机の上に立っている。ノーランは教室の前で叫ぶ。声はますます大きくなるが、誰も取り合わない。
キャメロンは立たない。席に座ったまま、周りの人間を見上げる。理解できない、という顔だ。少し焦っているようにさえ見える。他にも何人か、立たない者がいる。映画は彼らにクローズアップを向けない。誰かに非難させることもしない。ただ、そこに座らせておく。立っている者と同じ画面の中に。
この行動に何ができて、何ができなかったのか、曖昧にせず分けておきたい。キーティングの解雇は変わらない。荷物をまとめれば出ていく。チャーリーの退学も変わらない。このとき彼は、すでに校舎の中にいない。
ニールの死も変わらない。書類も残り続ける。校長室のどこかの引き出しに鍵をかけてしまわれ、署名は一つも消せない。学校の結論は一字も変わらない。
ただ、別のことはできた。この少年たちは、この教室で初めて、自分がどこに立つかを自分で決めた。それも、自分たちを退学にできる人間の目の前でだ。前に教卓に上がったときには、教師に言われて上がったのだった。
キーティングは戸口に立ち、振り返って、机の上の少年たちを見渡す。「ありがとう」とひと言告げ、ドアを閉めて去る。ノーランはまだ教室の前で、座れと叫んでいる。立っている者も、座っている者もいる。教科書のあの一ページは、ないままだ。
本稿は1989年版(上映時間約128分)に基づく。
原作:那不是致敬,是撤回