
幅の広い淡い色の階段が、画面の下から上がっていく。踊り場に着くと、左右に一本ずつ、さらに上る階段がある。中央には彫像に囲まれた扉が残るが、二本の手すりはすでに前進する道を分け、ホールの両側へ斜めに伸びている。さらに脇を見ると、柱の間は壁でふさがれていない。いくつもの欄干の後ろに、人が立ち、歩けるギャラリーがある。
これはパリ国立オペラの公式サイトに掲載された、階段を正面から見た写真である。ホールは無人で、階段、踊り場、欄干付きのギャラリーの関係がよく分かる。中央を上る人は、両側からの視野に現れる。踊り場で向きを変えると、他者に見せる向きも変わる。客席に入る前から、入場そのものが、見られる過程になっている。階段の正面写真を見る
この建築は、一般にパリ・オペラ座、またはガルニエ宮と呼ばれる。シャルル・ガルニエが1861年の設計競技に勝ち、工事は戦争と政体の交代を経た。1875年1月5日の開場時には、建設を始めた第二帝政は第三共和政に替わっていた。現在も公演に使われ、一般の見学にも公開されている。フランス国立図書館による建築史紹介
「芝居を見ると同時に、自分も人に見られる」は、このオペラ座を説明する古くからの手がかりである。精読する価値があるのは、その言葉がどのように建築になったかだ。階段は人を見える場所へ運び、踊り場は向きを変えさせ、ギャラリーは道の脇に見る位置を用意する。大理石、彫像、照明器具は目立つが、この場面を支配するのは、床がどう高くなり、道がどう分かれ、どこからどこへ目を向けられるかという関係である。
一 ホールの中央で向きを変える
まず正面写真の手すりをたどってみよう。
中央階段の両側の手すりは、低い位置から曲がりながら上がり、淡い色の踏面を挟んでいる。上端に着くと斜線が止まり、比較的平らな床が左右の分岐をつなぐ。踊り場は、階段を上る動作に明確な節目をつくる。直前までホールの奥へ進んでいた人が、今度は左か右へ向きを変え、側方のギャラリーへ上り続けることができる。
この転回は、狭い階段室に隠されていない。踊り場の前と両側にはかなりの空きがあり、左右の階段もホールへ開いている。そのため階段上の人は、高さだけでなく、ホール全体に対する向きも変える。向かいのギャラリーの人には、正面から側面へ変わって見えるかもしれない。側方から見る人には、連れに隠れていた姿が、折り返すときに分かれて見えるかもしれない。
段の反復は、その変化を一段ずつ展開させる。低い場所から踊り場に着くまでには、始まりと終わりの明確な経路を通る。上下の端の間に、歩く過程を断ち切る扉はない。手すりと階段が連続した輪郭を与え、服装、姿勢、連れ立つ関係が、その輪郭に沿って移動できる。
踊り場も、純粋な展示台になったわけではない。扉と両側の階段につながり、実際の交通を振り分ける。正面写真では、中央の戸口の縦の枠組みが前への方向を保ち、両脇へ斜めに伸びる手すりが別の二つの道を示す。ガルニエは移動に必要な動作に、明確に見える形を与えた。到着し、向きを変え、分かれ、進み続ける、その一つ一つに場所がある。
ここで「演劇性」と言うなら、まずはこの追跡できる変化の連続を指す。演者も衣装もなく、誰も意識的にポーズを取らなくても、普通に階段を上る動作が、低い位置に現れ、中央を通り、側方へ展開する。建築は行動に始まりと転回を与えるが、行動する人の筋書きまでは書いていない。
二 階段を歩く人は、見返すことのできる周縁に向き合う
公式サイトの別の写真は、高い位置から反対向きに階段を見下ろす。手前には左右から伸びてくる階段があり、中央の踊り場は下の中央階段へつながる。奥では高い柱の組の間から、欄干がホール側へわずかに張り出す。その後ろの床はさらに続き、柱の背後の通路につながっている。反対方向から見下ろした写真を見る

この写真は、正面写真で背景と見なしやすかった部分を補う。階段の前方にあるのは、装飾だけをもつ壁ではなく、人を収めることのできる縁である。ギャラリーの後方は通過でき、欄干の近くにはホールへ向く位置がある。欄干は身体を階の内側にとどめるが、視線はその上を越え、下の階段や反対側の踊り場へ届く。
こうして異なる二つの使い方が隣り合う。歩き続ける人もいれば、脇にしばらくとどまれる人もいる。とどまる人は主階段の中央へ出なくても、階段上の行動を見られる。階段が開けるほど、周囲に少し退いた見る位置が重要になる。それがなくても広い段は上下の移動に使えるが、周囲からの視線は少なくなる。
柱もこの配置に関わる。高い柱身はギャラリーをいくつかの部分に分け、中央から見ると、人の現れ方は柱間の開口に制約される。柱に近づくと、ある方向は遮られ、別の方向は開く。ホールは、誰もが同時に全員を見渡せる位置を用意するのではなく、局所的に通じ合う多数の視野を与える。位置ごとに見えるものが異なるからこそ、「他者を見る」ことは数歩の移動でも変わりうる。
写真の材料と色彩は、この配置を読み取りやすくする。中央の踏面は連続した淡色面となり、斜めの手すりの下の赤褐色の小柱が階段の縁をつなぐ。周囲の大柱の模様、柱脚、上方のアーチは、ギャラリーに厚みを与える。色は豊かだが、道の斜線とギャラリーの水平線は混ざらない。最初に豪華な表面が目に入っても、見続ければ、その中を行動が通る順序を見つけられる。
オペラ座自身の解説は、大階段を、自分を見せるとともにバルコニーから他者を見られる場所と述べている。二枚の写真は、その要約に具体的な位置を与える。見られる経路と、その経路を見る位置が、ともに一つのホールに組み込まれているのだ。オペラ座公式の空間紹介
三 1877年の一枚の絵が、空の階段に人を現す
ルイ・ベローは1877年に《オペラ座の階段》を描き、現在はカルナヴァレ美術館が所蔵している。画面上半分を高い柱、アーチ、天井が占め、観客は下半分にいる。淡い色の長いドレスが中央の階段に散らばり、濃い色の服の人々が段の縁、階下の床、両側の踊り場に立つ。人々は、同じ向きの整然とした一隊にはなっていない。美術館の所蔵作品と資料を見る

絵と正面写真を並べると、階段の節目はなお識別できる。中央を上る階段、両側へ分かれる階段、奥の戸口、柱間から張り出すギャラリーである。ベローは少し片側へ寄った角度を選んだため、絵の左の踊り場はより大きく突き出し、右の階段は透視によって詰まって見える。建築の左右の関係に、見る位置が差を与えている。
人々はその関係に、異なるリズムを加える。中央階段の人は疎密のある列をつくり、階下では小さな集まりに分かれ、踊り場の欄干の後ろにも小さな姿が現れる。階段に沿って動く人もいれば、連れや脇の人へ身を向ける人もいる。階段は彼らを一つの場面に置くが、同じことをするよう求めてはいない。
美術館の解説によれば、画面右下ではガルニエが、シルクハットをかぶり杖を持った男性に挨拶している。建築家は階段の最高部に置かれていない。一人の人物として、自分の建築の中の出会いに加わっている。この小さな箇所は絵全体の構成によく合う。空間の主役は中央の階段だけでなく、経路の脇にとどまり、他者と関係を結ぶ人でもある。
この絵は開場の二年後に制作され、当時オペラ座を社交の場としてどう思い描いたかを記録する。ただし、選択と構成を経た絵画であり、ある公演の客の流れを実録したものではない。服装、姿勢、位置は確かに観客を画面の内容にするが、誰が誇示し、誰が知人を探し、誰がただ帰ろうとしているのか、絵は一人一人の動機までは説明していない。
オペラ座の社交には、実際の入場制度もあった。公式紹介にある「定期会員のロトンド」は、かつて東側の専用入口から入る定期会員のために使われた。大階段に着く前から、来る道の違いが人々を分けていた。「互いに見ることができる」はホール内の空間的な機会を述べるが、ここへ入る資格や方法は別の配置に属する。階段の開放性と当時の社会的な差異は、この建築の中に共存している。
四 同じ観客でも、階段と客席では位置が違う
客席の公式写真も見よう。一枚は舞台へ向き、もう一枚は積層するボックス席と椅子を近くから見ている。曲線の手すり壁が異なる高さを巡り、赤い椅子が列をなし、舞台の開口が明確な見る対象となる。ここへ入った観客は、階段上よりはるかに安定した位置を得る。舞台に向いた写真;ボックス席と椅子の写真

座席は、道に従って曲がることなく、演目に向き続けられるようにする。ボックス席の前方はなお開き、別のボックス席を見ることもありうるが、客席の使用では、舞台が明確で共通の上演対象を与える。階段が「どこへ行くか」を次々に現すのに対し、客席は「どこに座って見るか」を、より持続的な条件にする。
二つの空間は、欄干、層状に重なる床、空所を囲む縁という似た部材を用いている。そのため違いがいっそう明確になる。客席では手すり壁の前の人は、主として自分の席にとどまる。階段ホールでは、中央を歩く人が側方へ到達し、ギャラリーから今来た道を見返せる。同じ人が一度の入場の中で、まず見られる道を通り、次にその道を見る位置へ着くことができる。
現在の写真では、シャンデリアの上にシャガールの鮮やかな天井画も見える。これは1964年の作品で、建築の後の変化に属する。1875年開場時の全体の配色を説明するためには使えない。公式の建築と天井画の紹介
客席の外には大ホワイエもある。公式写真はこの長い広間に沿って撮影され、壁際の柱群と照明が反復し、中央には連続する床が残る。ここでは何段もの階段によって高さを変える必要がなく、連れと並んで歩き、向かい合って出会い、脇にとどまることができる。公式解説は、幕間に観客が歩き、会うための場所と、用途を率直に記している。大ホワイエの写真を見る

したがって階段、客席、ホワイエは、同じ豪華な装飾を入れた三つの容器ではない。一つは上昇と転回を、一つは着席と継続する鑑賞を、一つは同じ床面での往来を整える。観客はそこで他者との距離を変え、建築の中ですることも変えている。
パリ・オペラ座は、上演前後のこれらの動作を重く扱う。階段は座席に着くまで無視してよい空白ではない。通過を公に展開する過程へ変え、その両側にはそこへ目を向ける位置を残す。この配置を見た後では、もっとも注目したいのは、装飾がもっとも密集した天井ではなく、中央階段が終わる小さな踊り場かもしれない。そこで人は身を翻し、自分の席へ向かうと同時に、反対側の人の視野へ入る。
任意の併読|「彼らは皆、見せびらかしている」は誰の判断か
Han Qinの英語散文「“I Was Mistaken.”」は、答えを修正するだけでなく、先ほどの判断をしたのが自分だったと認識することもできると述べる。他者を見ることは、判断している自分を見えるようにすることもある。
ベローの絵で、具体的に確かめてみよう。もし最初、画中の人々を一括して「身分を見せるために来た観客」と見たなら、右下で挨拶する二人の男性を選び、もう一度見る。まず画面と所蔵解説が実際に与えるものを並べる。シルクハット、杖、向かい合う身体の向き、そして一人が建築家ガルニエと特定されていることだ。次に、先ほどの誇示という印象のうち、何がこの細部から来て、何がこうした場所に対する自分の予期から来たのかを問う。
彼らを謙虚な人だと判定し直す必要はない。社会的な誇示という解釈を残しつつ、その確かさの度合いを変えることはできる。建築と服装は条件を与えるが、個々人がそのとき自分の行為をどう理解していたかには、なお余白がある。
ここでSAE(Self-as-an-End)の「自己の美」が加えるのは、自分の見方を認識することだ。初めに省かれていたのは、画中のある人の複雑な動機だけではない。集団全体を一つの動機にまとめた読者も、省かれていた。その判断を自分のものとして引き受け直すと、絵の中の一つ一つの挨拶、転回、滞在を、改めて別々に見る価値が生まれる。
図版と資料
本稿は、公式の現状写真と1877年の一枚の絵画に基づく精読であり、現地訪問記ではない。正面写真と見下ろし写真は、同時刻の連続した歩行記録ではなく、階段、踊り場、ギャラリーの接続を識別する助けとなる。絵画は初期の社交場面の表現を見るために用い、実際の人数、速度、人物の心理は推定しない。本文は公式外部リンクだけを提供し、画像を添付配布しない。
- パリ国立オペラ:ガルニエ宮:空間の用途、建設年表、階段と内部の写真。本文で用いた写真はすべて、このページの公式画像リソースに由来する。
- フランス国立図書館:オペラ・ガルニエ150周年:本文ではページの文章にある設計競技、建設、開場の背景を用い、講演動画は引用の根拠にしていない。
- パリ市立美術館コレクション:ルイ・ベロー《オペラ座の階段》:1877年、カンヴァスに油彩、カルナヴァレ美術館蔵、作品番号P2164。拡大して人物と建築の関係を見ることができる。