Non Dubito · 権利論の補論
何を、どこまで引き受けるのか
ひとつの指示、ある職への就任、引き継ぎ、そして退職。ある要求が自分に向けられる根拠はどこにあり、その要求は正しいのか。職を離れたあとには何が変わるのか。三つのエッセイで考える。
01
「あなたの職責でしょう」は、どこから来るのか
月末までに出す一覧表。「前からそうしてきた」という説明。納得してはいなくても、現に自分が就いている職。責任感のある人間かどうかを反省する前に、まず、その仕事がどうして自分に回ってきたのかを考えたい。
本文を読む →02
職責があるからといって、その要求が正しいとは限らない
給料を払っていれば、いつでも呼び戻してよいのか。会社が引き受けた仕事なら、問題が起きたとき、誰かひとりに負わせてよいのか。現実に自分へ及んでいる要求であっても、問い直す余地はなくならない。
本文を読む →03
職を離れたあと、何が終わるのか
退職は過去を消す消しゴムではない。引き継ぎも、他人の昔の落ち度を背負うことではない。ひとつの職、期限の違ういくつかの要求、少しずつ成長する子ども。その具体的な姿から、「終わる」を考えたい。
本文を読む →権利論の既存の七篇と各言語版は、そのままひとつの読書の道筋をなしている。この三篇は、後に書かれた専論をもとに、立場に伴って外から課される要求、自分から引き受けたいこと、自分の立場が他の権限によって変わりうること、そして実際に要求に応えることを分けて考える。現に働いている要求を、そのまま道徳的な命令と見なすわけではない。役割が終わったからといって、その過去についての問いまで片づくわけでもない。
原論文と読み方について
本シリーズは『On Accountability · Wei』を一般の読者に向けて書き直した三篇であり、論文の二十六の命題を順に訳したものではない。職場と子どもの場面はいずれも架空の例である。原論文は accountability、liability、duty を限られた意味で区別しており、日常語や法律用語としてのそれぞれの意味を、すべてこの区別で置き換えようとするものではない。要求を分類しても、それだけで要求が正当になるわけではなく、現実の強制が消えるわけでもない。実際の雇用条件、退職後も続く守秘の取り決め、救済の手段、未成年者の法的責任について、この記事が結論を出すことはない。日本語版は中文エッセイをもとに独立して書き直した。