Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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SAE基礎テキスト · 日本語編集・再構成版
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道がどう生じたかは、なぜ有効かではない

Han Qin (秦汉)

最も大切な道こそ監査する

SAEの0D–16DD系列は、否定の零点から主体、自己目的、「他者も目的である」と疑わない15DDへ進み、さらにその相互的不疑があらゆる事柄に及ぶ16DDを関係極限として記す中心的な道である。だからこそ第一批判は、この系列を象徴として保護せず、各駅がどの前提と外部入力に依存するかを点検する。

生成史は、ある概念がどの問題から生まれ、何を解決したかを明らかにする。だが「この順序で現れた」ことは「この順序だけが正しい」ことではない。発生は資格を評価する材料であって、資格そのものの根拠ではない。

固有の駅より、順序関係

系列の強みは、すべての駅名が唯一不可欠だという点より、いくつかの順序を逆転できない点にある。自分を目的として扱う14DDは自己主体13DDを前提とする。15DDは、一方の主体が「他者も目的である」と疑わないことを指す。具体的な一件で双方がそうしても、そこにあるのは向かい合う二つの15DDの瞬間である。16DDはこの相互的不疑があらゆる事柄に及ぶことを要し、有限な主体にとって物自体的な極限にとどまる。

しかし各段階の内容には経験・宇宙像・対象概念など後から入る材料がある。余項は方向候補を示してもモーターではなく、主体は止まれる。道には構造的な順序があっても、自動的に走る力や唯一の到達速度はない。

構造はまだ法律ではない

とりわけ14DDから15DDへ進むとき、構造上の関係が倫理的義務へ変わる危険がある。他者が自己目的でありうるという記述だけでは、私がそのことを疑わないという立場は自動的に出ない。その移行は実践批判へ明示的に引き渡される。16DDは通常の次段階ではなく、この不疑が双方においてあらゆる事柄に及ぶ極限である。

こうして生成監査は系列を破壊せず、成績を細かくする。構造から強く支えられる順序、採用した公準に依存する段階、経験的入力を要する内容、規範的追加を要する移行を別々に記す。道が照らされるほど、その道を歩く責任は必然ではなく主体へ戻る。