Non DubitoEssays in the Self-as-an-End Tradition
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SAE · 権力論 · 勢 · 日本語編集・再構成版
篇 04 · 全7篇

権力の限界

Han Qin (秦汉)

人は権力関係より大きい

権力は人の行為空間を狭め、何をしてよいかを決められる。しかし、その人の視点、判断、欲望を余すところなく作ることはできない。関係のなかに回収されないこの超過を、ここでは残余項と呼ぶ。それは監視技術の不足ではなく、相手が主体であることから生じる構造的な限界だ。

権力は告白を言わせられても信念を作れず、儀礼への参加を命じても意味への同意を強制できない。牢獄は身体を囲うが、囚われた理由を正当と判断させることはできない。表面上の服従の内側に「選択肢がないから従う」という判断が残るなら、それだけで残余項は存在する。

全面統制が秘密を育てる

統制が残余項を消そうとすると、しばしば逆に増やす。通信をすべて読む国家は隠語を発達させ、選択を管理する親は秘密を守る子を育て、思想の統一を求める学校は言葉と本心を分ける技術を教える。出口を塞がれた主体性はなくならず、地下の経路へ向かう。

ここで重要なのは、秘密の内容よりも秘密を持つ能力である。たとえ反抗の思想がまだ形を取っていなくても、自分だけの判断領域を守る習慣そのものが、権力の全体化を拒んでいる。全面統制は従順な主体を完成させるより、二つの言語を使い分ける主体を訓練しやすい。

しかも残余項は権力にとって必要である。相手の内面と判断を完全に消したなら、相手は主体ではなく物となり、相互承認を前提とする権力関係も終わる。権力が働くために必要な主体性と、権力が消せない残余項は、同じ事実の二つの側面なのである。

静けさは安定の証拠ではない

個々の不満や抑圧された願いは小さく見えるが、消えずに蓄積する。裂け目、資源、別の物語が現れた瞬間、それらはつながって表面化する。崩壊が突然に見える体制でも、条件は長い時間をかけて作られていた。発言が少ないことと、残余項が少ないことは同じではない。

自分の限界を知る権力は、批判や文化表現に出口を設けて圧力を逃がそうとする。それは長期安定に役立つが、残余項を消したわけではない。許された表現は連結し、境界を押し広げる。限界を管理することはできても、限界そのものを廃止することはできない。