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NON DUBITO · 映画を読む

『きっと、うまくいく』を読む

Han Qin (秦汉) · 日本語版公開:2026年10月7日

中国語原作をもとに、日本語で独立して書き直した版

中国語原作の議論をもとに、日本語で独立して書き直した版。作中の言葉は本稿での表現であり、公式日本語字幕の引用ではない。

原文:中国語(簡体字・繁体字)・英語のシリーズ目次

三つの論考は、学びを順位に変えてしまう大学を出発点に、ファルハーンとラージューが自分で背負うしかない、それぞれに異なるリスクをたどる。そして、ランチョーが後に成功したからといって、なぜ結果の分からなかった当時の行為すべてを正当化することにはならないのかを考える。

『きっと、うまくいく』は、「好きなことを追えば、成功は自然についてくる」という、気持ちを楽にしてくれる教えに縮められがちだ。だが映画は、その一言より複雑である。ジョイは優れたものを作りながら、認められるまで生きられなかった。チャトゥルは制度の基準に従って成功した。ファルハーンとラージューが払う代価を、ランチョーが肩代わりすることはできない。ランチョー自身も人を助け、一線を越え、過ちを犯し、結果を知らないまま行動する。

三つの論考は、制度の設計から、自分の人生に自分の名を記すことへ、さらに結末を知った後の見方へと進む。理解よりも指定どおりの言い回しを褒める大学は、いったい何を生み出しているのか。友人は何を指し示すことができ、どこで手を止めれば、他人の人生の新たな演出家にならずにすむのか。そして、その後の成功がまだ分からず、保証もされていないときでも、ある行動をいま選ぶことは正当でありうるのか。

I この大学は何を生み出しているのか

ICEは工学を教えるだけではない。理解を指定された表現に、人間を順位に、そして防げたはずの苦しみを個人の失敗に置き換えていく。

II 選択の代価は、二人がそれぞれ引き受けた

ランチョーは選べる道を見えるようにし、ときには一線も越える。ファルハーンとラージューが本当に自分の行為の主体となるのは、自ら口を開き、断り、その代価を受け入れる場面である。

III そのとき彼は、結末を知らなかった

四百件の特許があると、振り返ったとき、ランチョーはあまりにもたやすく勝者になってしまう。判断すべきなのは、結末で付け加えられた勝利だけではなく、彼が行動していたときの未知なのだ。