孔子は弟子へ多くを教えるが、最後の判断まで代行しない。子路は聞いたことをまだ行えていない間、次の教えを聞くのを恐れた。子貢は「自分が望まないことを人にしない」を、生涯の言葉として自分で問い直した。

二人は性格も学び方も違う。子路には速度を抑える必要があり、子貢には言葉の奥を自分でつなぐ必要がある。教師は同じゴールへ同じ道で連れていかない。本人にしか負えない一歩がどこにあるかを見つける。

教育の成功を、先生の言葉を正確に再現できることだけで測ると、この一歩は見えない。学んだ人が別の状況で自分の判断を使い、その結果を引き受けるとき、教えはようやく生き始める。そこから先は教師の作品ではない。

中国語・英語版を基に、日本語の読者に向けて独立に書き直したエッセイ。詳細な論証はシリーズ末尾の研究版を参照。