SAE · War Theory · 日本語編集・再構成版
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四つの「せざるをえない」
主権者の文法を外す
四つの制約は同じ文法をもつ。戦争を始めざるをえない。拡大するなら、その拡大も避けられない場合に限る。終結へ向けざるをえない。問いにさらされざるをえない。この文法は「私が決める」「私が許す」という戦争当事者の主権者意識を外す。許可する者ではなく、構造的な制約を受ける者として自分を置く。
第一の敷居は二重である。交渉、仲介、合意修復など非軍事的な経路が本当に尽き、同時に抵抗しなければ主体としての存続が失われるところまで来ていなければならない。将来の脅威、利益、威信、示威はこの敷居を越えない。他国で抑圧される人々を見ることも、それだけでは代理解放の開戦理由にならない。
始めた後も毎回問い直す
第二の制約は、地理、強度、参加者、目標、期間、手段の拡大を、毎回第一の敷居で再審査する。「すでに戦っている」は免許にならない。防御から破壊へ、脅威の除去から相手の改造へ、現在の問題から将来の危険の永久除去へ目標がずれるとき、戦争は境界を越えている。
第三の制約は終結を戦争の外に固定する。現在の抑圧能力を無力化することはありうるが、戦後に相手が社会、教育、文化を再構成できる最低条件まで壊してはならない。開戦時点ですでに「両側の育成はその後どう戻るか」に答えられなければ、方向は立っていない。
問われることは診断でもある
第四の制約は戦争当事者自身の形を問う。異論は存在するか。決定の中心へ届くか。問う人は報復から守られるか。問いは実際に決定を変えうるか。四つすべてが必要である。
討論を開催するだけでは足りない。問いが記録されても方向に何の影響もなければ、それは舞台装置である。開戦、継続、方向、主体の形という四つの同心円が、戦争に育成をのみ込ませない一つの保護機構を作る。